小澤征爾さんの自伝的エッセイ『ボクの音楽武者修行』の思い出

2月6日、世界的マエストロ・小澤征爾さんが88歳で他界されました。マエストロを偲んで、3連休の日曜日、マエストロが30年近く音楽監督を務めたボストン交響楽団の演奏でマーラーのシンフォニー1番《巨人》(1987年録音・PHILIPS・2013年)を聴いているところです。

マーラーの弟子でもあったブルーノ・ワルターは、《巨人》をマーラーのウェルテルだと語っています。マーラーの青春讃歌を全盛期のマエストロが振っているのです。後世に残る名盤のひとつだと思っています。

小学生の頃、おばから贈られた『ボクの音楽武者修行』(音楽之友社刊)を読んだのがマエストロを知るきっかけでした。マエストロの母校の附属小学校に入学した長男にも手に取るように薦めました。1959年2月1日、マエストロは神戸港から貨物船に乗船して、ヨーロッパを目指します。齢23歳のひとり旅です。<外国の音楽をやるためには、その音楽生まれた土、そこに住んでいる人間をじかに知る必要がある>とマエストロは思ったと言います。といっても、当時の小澤家に息子を欧州へ旅立たせる経済的余裕はありません。本人がスポンサー探しに奔走し、日の丸をつけて音楽家であることを明示することを条件に、富士重工からスクーターを提供されます。マルセイユ港に上陸したのは3月23日ですから、2か月近い船旅だったわけです。優雅な客船や空路による渡航とは対照的な貨物船暮らしが却って幸いし、スクーターの勉強や語学習得に熱中する時間が生まれ、寄港の都度、様々な国の人や文化に接する機会が増えていったのです。

行き当たりばったりの棒振り修行が、周知のブザンソン指揮者コンクール優勝に繋がリます。確固たる志があって努力を惜しまない若者に天は味方し配剤するのでしょう。無一文で日本を脱出し、五大陸最高峰に初登頂し、アマゾン筏下りに成功するまでの青春記『青春を山に賭けて』を残した植村直巳さんにも当て嵌まることです。そんな若者の周りには自然と助力する人が集まってきます。ピアニストで後の妻女となる江戸京子さんがマエストロにコンクールの存在を教え、パリのアメリカ大使館音楽部のマダム・ド・カッサはコンクールへのエントリーを手助けしてくれます。ブザンソンの音楽会では、後に師事することになるシャルル・ミュンシュの『謝肉祭』を聴く機会に恵まれ、知己を得ます。

活躍の場はやがてアメリカへと移り、マエストロは名手バーンスタイン率いるNYフィルの副指揮者に就任し、2年半ぶりに飛行機で凱旋帰国することになります。

エストロが欧州に旅立った年に自分は生まれています。マエストロの自伝に触発されたこともあって、大学卒業直前の2月、往復の航空券とユーレールパスだけを携え、空路ロンドンへ向かい、ヨーロッパをひとり旅しました。まだまだ外国が遠い時代でした。自伝のあとがきで、マエストロは日本から外国へ行くことの難しさを述べておられますが、今は渡航のハードルが殆どないにもかかわらず、若い世代は留学したり海外勤務することに積極的ではないようです。若いときの「武者修行」ほど人生の糧になるものはありません。<若いときの苦労は買ってでもせよ>と言うではありませんか。