無観客のウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2021~マエストロ・ムーティからのメッセージ~

<黄金のホール>こと楽友協会大ホールが無観客なことに気づいてはっと我に返りました。依然、コロナ禍が世界で猛威を振るっていることをすっかり忘れ、満席の大ホールに巨匠ムーティが登壇すると思っていたからです。

毎年、日本時間の元日の夜、ウィーンからのライブ中継があって<ここから新年が始まる>という身体に沁みついた感覚がそうさせたのでしょう。オーストリア・ウィーンもコロナ禍の渦中にあって、2021年は史上初めて無観客のニューイヤーコンサートになったのです。それまでの道程は決して平坦ではなかったようです。オーストリア政府が公演中止に踏み切ったのは昨年3月、178年の歴史で初めてのことでした。以降、ウィーン・フィルは、再開をめざしてかなり早い段階から独自の感染対策を講じてきたのだそうです。演奏者だけではなく家族も含め徹底したPCR検査を実施、公演の安全性を自ら実証してきたというのです。こうして3ヶ月に及んだ公演休止期間から抜け出し、夏場から公演を再開、シェーンブルン宮公演、ザルツブルク音楽祭を経て、11月にはサントリーホールへの出張公演さえ実現させたのです。

2021年の指揮を任されたのは巨匠リッカルド・ムーティ(80歳)。今年は、1971年のザルツブルク音楽祭での初共演以来、50年目の節目にあたるのだそうです。ニューイヤーコンサートは018年に続く通算6度目(1933年初演)、現役指揮者ではマゼールの11回に次ぐ記録です。ウィーン・フィルとの共演は500回超を数え、長い時間をかけて築かれてきた両者の揺るぎなき信頼関係を思えば、コロナ禍で指揮棒を託されたのがムーティだったのは必然なのでしょう。

黒いダブルのスーツに身を包んだマエストロは威風堂々、とても今年80歳を迎えるようには見えません。第一部劈頭を飾ったのは、ムーティの故郷イタリアとも縁の深いスッペのマーチ「ファティニッツア行進曲」、ニューイヤーでは初演なのだそうです。第二部の最初の曲も、ウインナ・オペレッタの父と称されるスッペの代表作のひとつ、「詩人と農夫」でした。観客のいない客席に向かう楽団員の表情は普段とまったく同じ、演奏はまるで不在の観客に語りかけるかのようでした。<演奏こそ、ウィーン・フィルの存在意義そのものだ>という楽団長の言葉を裏づけるようなパフォーマンスが続きます。前半の「憂いも無く」には楽団員たちのワッハッハという笑い声が差し挟まれ、まるで、先の見えないトンネルの先にあるはずの光明を手繰り寄せてくれているかのようでした。

ウィーン・フィルニューイヤーコンサートは、いつも、年の始まりを明るく希望に満ちたものにしてくれます。心浮き立つような元日のこの気分はウィーン・フィルなくしてあり得ません。後半は何といっても王道のシュトラウス2世作曲「春の声」、鳥のさえずりが聴けるポルカ・フランセーズ「クラップフェンの森で」、「皇帝円舞曲」の3曲。事前収録されたバレエパフォーマンスは、ニューイヤーコンサートと切り離せない存在です。

第一部と第二部の最後には、コンサートホールに設置された20台のスピーカーから事前登録された25ヶ国7000人の視聴者からステージに拍手が届けられました。ORF(オーストリア放送協会)が初めて導入したというこのオンライン拍手システムは、ステージと世界がリアルタイムで繋がっていることを実感させる心憎い演出でした。

あっという間にアンコールタイムを迎え、万雷の拍手の代わりに、楽団員が弓で譜面台をトントンと叩き、足で床を踏み鳴らします。楽団員に促され登壇したマエストロが異例のスピーチを英語で行いました。<今、こうしてここにいることが社会をよくするための使命なのだ>と力強く語りかけます。ネクタイが青の格子縞だったのはアンコール曲の定番、オーストリアの第二の国家と呼ばれる「美しき青きドナウ」への色合わせでしょうか。掉尾を飾った拍手なき「ラデツキー行進曲」が、確かな希望(伊語:La Speranza)と根拠あるオプティミズムを世界に届けてくれたことは間違いありせん。

来年はムーティに続く巨匠ダニエル・バレンボイムにバトンタッチされることが決まりました。