Gotoトラベル~沖縄篇その1・ハイアットリージェンシー瀬良垣アイランド沖縄ステイ~

GoToトラベルの開始は7月22日、4連休を見込んだ予想外の早いスタートでした。ところが、感染者の多かった東京は除外、ようやく予約対象になったのは9月18日正午からでした。他地域に遅れること約2ヵ月。時の官房長官菅氏の地盤(神奈川2区)で隣県神奈川県は除外を免れました。コロナ対策で政府を批判した小池都知事への意趣返しも手伝って、とんだトバッチリだったのは総人口の10%強を占める都民でした。税金が原資である以上、GoToトラベルとコロナ感染者数増の因果関係を解明しないで東京を除外するのは、実に非科学的で理不尽そのものです。

とまれ、10月は週末や後ろ倒しにしていた夏休みを利用して、GoToトラベルの恩恵に預かりました。最終週は羽田から石垣島へ直行便で飛び、2泊した後、空路那覇へ移動しました。

那覇初日はハイアットリージェンシー那覇に宿泊、夜遅い時間にチエックインしたので泊まるだけでした。待望のリゾートライフは2泊したハイアットリージェンシー瀬良垣アイランド沖縄(2018年8月開業)で満喫させてもらいました。ハイアットグループが満を持して日本で開業した初のリゾートファシリティだと知って瀬良垣に決めたわけですが、360度海に囲まれた期待以上にハイセンスで贅沢なリゾート空間でした。

なにより、小さな島自体が丸々リゾートになっていて立地景観は抜群です。夜景がまた格別でした。沖縄本島と瀬良垣アイランド間はトゥクトゥクで移動します。入館して先ず驚かされるのはスタイリッシュな吹き抜けのロビー。都心のラグジュアリーホテルでもこれだけ贅沢な空間を擁しているところはありません。ハイシーズンであれば、屋外のインフィニティプールで半日過ごしていたかも知れません。

 

宿泊したのはスタンダードツイン・オーシャンビュー(38平方米)。広めのバルコニーのチェアに座ると、真正面には東シナ海が拡がっています。宿泊中、珈琲片手にバルコニーで潮風に吹かれていると、異国にいるような錯覚に囚われました。天井にはシーリングファンが設置され、木の質感を活かしたシンプルなインテリアが好印象でした。

唯一の欠点は、コロナ禍の影響で朝食は配膳式だったこと。石垣島で宿泊したANAインターコンチ石垣島リゾート・ベイウイング(2020年新設)の朝食がバイキング形式だった上、大変充実した内容だったので、かなりがっかりさせられました。この点が改善されれば、満足度は100%に近いリゾートホテルだと断言できます。ホテルライフにいつもは辛口の家内がベタ褒めでしたので、今回にかぎっては溜飲を下げました。

GoToトラベルのお蔭でコスパは申し分ありません。おまけにホテルクーポンが1泊5000円X2、付与されたので1泊目はカジュアルイタリアンをホテルで楽しみました。ひとり1泊あたり朝食付きで13600円(+地域共通クーポン)でした。幸い、GoToトラベル延長の機運が昂まってきています。来年もう一度休暇を調整して瀬良垣をで宿泊、滞在中、1日は完全ホテルライフを満喫しようと思っています。

江戸時代の生活文化を知りたければ「ニッポンの浮世絵」展へ

ファッション文化の発信地といえば原宿、そんな原宿のど真ん中に世界有数の浮世絵専門美術館があるのをご存じでしょうか。街の喧騒から少し離れたラフォーレ原宿の裏手西側にその「太田記念美術館」があります。14000点を超えるといわれる収蔵品は、元東邦生命会長の五代目太田清蔵氏(1893~1977)が半世紀にわたって蒐集したものです。

本来庶民の娯楽のひとつだったはずの浮世絵の秀作の多くが、何故、海外に流出することになったのでしょうか。背景には江戸幕府の崩壊があります。幕藩体制の崩壊で禄扶持を失うことになった武家や好事家が生活に困窮して浮世絵を手放し、初摺の美品や一級品が相当な規模で海外に流出しました。さらに第二次大戦直後には、生活苦から資産家が骨董品を放出したため、浮世絵も相当数海外に渡ったといわれています。

遡る2016年にサントリー美術館で開催された「広重ビビッド」展は、財界の重鎮、原安三郎氏のコレクションが基になっていました。太田氏や原氏ら実業家のお蔭で我々は質の高い広重や北斎の名作を見ることができるのです。

「ニッポンの浮世絵」と銘打った今回の展覧会は、2020年東京オリンピック開催に合わせて開催されるはずでした。コロナ禍の影響で開催時期が歳末になったようです。作者に着目した展覧会と違って、浮世絵に描かれた日本的な題材がテーマです。取り上げられた題材は、相撲や歌舞伎など庶民の娯楽にはじまり、富士山や桜、気象(風や雪)、グルメまで多岐にわたっています。さほど広くはない会場には外国人の姿もあって盛況でした。

カメラのなかった時代、鋭い観察眼で江戸の風俗を活写した浮世絵は貴重な歴史の記録でもあります。歌川芳員の「勧進角力取組図」(1858年)を見れば、江戸時代の大相撲は屋外で開催されていたことが判ります。月岡芳年の「風俗三十二相 むまそう」(1888年)には美味しそうな魚(海老?)の天婦羅を食べようとする女性が描かれ、座敷に置かれた縦縞の蕎麦猪口は今に伝わるものと寸分も違いません。歌川広重の「冨士三十六景 武蔵小金井」(1858年)には玉川上水の両岸に満開のヤマザクラが描かれ、手前の幹の洞から富士山が覗いています。広重の富士にも、北斎の「富嶽三十六景」に勝るとも劣らぬ奇抜な構図が選ばれています。

名所旧蹟から、人々の暮らし、季節感、様々な風俗まで、対象にとことん迫る浮世絵を眺めていると飽きることがありません。出品数を抑えたこうした特色のある浮世絵展が好みです。

会期は12月13日まで。

女王アーモンドアイのラストラン〜2020年ジャパンカップ〜

一夜明けた今朝も、5歳牝馬アーモンドアイのラストランが目に焼きついて離れません。第40回ジャパンカップを最後に引退するアーモンドアイが、今年の牡牝3歳三冠を無敗で制したコントレイルとデアリングダクトを押さえて、歴史に残る華麗なるフィニッシュを披露してくれました。

アーモンドアイは、自身の持つ芝G1最多勝記録を自ら更新し9としました。これに続くのは、キタサンブラックジェンティルドンナウオッカディープインパクトテイエムオペラオーシンボリルドルフの7勝です。ラストランを有終の美で飾った歴代最強牝馬アーモンドアイは紛れもないレジェンドです。

願わくば、東京競馬場のスタンドでレースを見たかった!11.5倍の抽選をくぐり抜け指定席をゲットされた幸運な方々はさぞや興奮したことでしょう(因みに指定席は4384席でした)。馬券の首尾も、オッズ通りの結果となり、上々でした。長男は全的中、自分も馬連を1枚外しただけでほぼ完勝でした( ̄▽ ̄)

昨日のレースを振り返ります。前半、後続を10馬身離して独走したキセキを残り150mで追い抜き、コントレール、デアリングダクトを従えての堂々のゴールイン。ルーメル騎手の手綱さばきもお見事でした。

騎手ルメールはレース後こう語りました。

「この馬に乗るのはいつも特別だが、今日は最後だからもっと格別だった」

デビューから3年4ヶ月、アーモンドアイよ!本当にお疲れ様でした。

コロナ第三波到来でも不動の一番人気は神宮外苑のイチョウ並木

先週21日の都内の新型コロナ感染者数は過去最多の539人、3日連続の500人超えとなればメディアのアナウンスを待たずとも第三波到来は明らかです。三連休初日はときおり強い風に見舞われたものの晴天でしたので、井上ひさし展鑑賞後、三密と無縁の神宮外苑へ向かいました。

遠景中央に聖徳記念絵画館を望み、道路を挟んで2列に配されたイチョウ並木は見頃を迎えていました。晩秋の訪れを実感できる数少ない都心スポットだけに、去年以上の人出で賑わっていました。警察の再三再四の警告にもかかわらず、違法駐車する者が後を断ちませんでした。こればっかりは頂けません。

位置情報ビッグデータの集計によると、三連休中、渋谷・新宿をはじめとする都心繁華街各所の人出は減少したものの、神宮外苑の人出は前年比130%だったそうです。特に若い世代の増加幅が際立ったようです。東京から日帰り圏の紅葉の名所日光でさえ人出が前年比マイナスだったといいますから、神宮外苑イチョウ並木の集客力は抜きんでています。

考えてみれば、これほど美しいイチョウ並木は、全国津々浦々見渡しても見当たりません。山野に行かずとも身近で紅葉狩りができるわけですから、都民にとってこんなに有り難いことはありません。樹齢110年といわれる146本のイチョウ並木は、4年おきに、美しい円錐形を保つよう剪定されているのだそうです。開放的で日当たりのいい神宮外苑イチョウは巨樹と化し、その尖端は真っ直ぐ蒼穹に向かって延びています。計算し尽くされたその景観は、Avenue des Champs-Elysées (シャンゼリゼ大通り) の両脇を埋め尽くしているパリのシンボル、マロニエの並木(写真下)に勝るとも劣りません。

黄色い絨毯をバックに思い思いのポーズで訪れた人たちが記念撮影をしていました。イチョウ並木正面左手にはカフェが並び、パリの街角のようなテラス席が設えてあります。晩秋の風物詩といえば、神宮外苑イチョウ並木。コロナが収束したら、静かな新緑の時期に、カフェのテラス席でのんびり寛いでみたいものです。

映画『パリよ、永遠に』~パリの救世主はコルティッツ将軍なのか?~

いつ訪れても美しいパリの街並み。ところが、1800年代初頭のパリは、家畜が放し飼いにされ、垂れ流された糞尿で異臭さえ漂う不衛生この上ない都市でした。そんな劣悪な都市を今日の姿に変えたのは、時の皇帝ナポレオン3世オスマン知事のふたりです。「オスマンのパリ改造計画」(1853~1870年)として知られるこの国家的事業に費やされた年月は、20年近くにも及びました。

世界に誇るべきその国家的偉業が、第二次大戦末期に壊滅の危機に晒されたことがあります。1966年公開のルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』は、最終的にヒットラーの命に背いてパリを救ったとされる、ドイツ国防軍歩兵大将にしてパリ軍事総督ディートリヒ・フォン・コルティッツにスポットを当てながら、史実に沿ってパリが解放された経緯を追いかけます。

上映時間が約3時間に及ぶ『パリよ、永遠に』(2014年)に対して、本作はドイツ軍最高司令部の置かれたホテル「ル・ムーリス(Le Meurice)」を舞台に、専ら(パリ徹底破壊の)翻意を迫る中立国のスウェーデン総領事ノルドリンクとコルティッツ将軍との緊迫した遣り取りを描きます。事実上、家族を人質に取られた将軍の苦衷に理解を示しながらも、ノルドリンクは粘り強く愛するパリの街を救おうとコルティッツ将軍の説得に努めます。

コルティッツ将軍「もし君が私の立場だったら、いったいどうするのかね」

ノルドリンク「分からない・・・」

ときおりの沈黙を挟みながら、延々と平行線が続くように見えるふたりの会話。砲弾飛び交う凄惨な戦場シーンこそありませんが、それに匹敵する険しい空気がふたりを支配します。観客(視聴者)は今もパリが健在なことを知っています。パリの運命を握ったコルティッツ将軍が何を思い何を考え究極の選択に至ったのか、その胸中の変化は観客が想像するほかありません。さながら心理サスペンスにも似た展開だと申し上げておきます。冗長との批判は失当です。パリを破壊するだけの兵力を喪失していたとされるコルティッツ将軍ですが、窮余の選択とはいえ、正しく理性的選択をした敗軍の将として讃えられて然るべきだと思います。

映画ではコルティッツ将軍はノルドリンクとフランス語で会話していますが、史実はどうなのでしょうか?強く印象に残ったのは、コルティッツ将軍が本国から伝令でやって来たSS連絡将校に露骨に嫌悪の表情を露わにしたシーンです。国防軍とSSの対立やコルティッツ将軍の秘めたるパリへの愛着がコルティッツ将軍を突き動かしたようにも映ります。地味な戦争映画ではありながら、観るべき価値のある佳作ではないでしょうか。

体験的井上ひさし伝〜「没後10年井上ひさし展-希望の橋渡しする人」展より〜

3連休初日、敬愛する井上ひさしの没後10年展 を見たくて、3年ぶりに世田谷文学館を訪れました。没後30年の「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」展以来となります。

井上ひさしとの出会いは、文学作品ではなく、NHK総合テレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」。娯楽に乏しい小学生の時分、リアルタイムでテレビにしがみついたものでした。細かいストーリーは忘れても、♫だけど僕らはくじけない〜泣くのは嫌だ笑っちゃおう〜、主題歌だけは頭こびりついて離れません。

虜になった初めての新聞小説は『偽原始人』(朝日新聞社刊・絶版)でした。小学生の夏休みを描いたこの小説は、窮屈な大人社会や学歴社会への鋭い風刺と批判に満ちていて、隠れた傑作ではないでしょうか。

内外のミステリー小説に傾倒し始めた高校時代に一番感心したのは、『十二人の手紙』(中公文庫)でした。数ヶ月前、近所の啓文堂で派手なポップと共に同文庫版が平積みされているのには驚きました。「旧作文庫の発掘企画」の一環で中央公論新社が新聞広告も打っていて、今も版を重ねているそうです。これは超おススメの名作です。

代表作にしてSF大作『吉里吉里人』は、東北の限界集落が「吉里吉里国」を名乗って日本国から独立するストーリー。東北弁を駆使しながら上質なエンターテイメント作品に仕上がっています。一方で、作者の社会への問題意識が一気に噴出した作品でもあります。通貨高権、食糧自給率、税制等々、国家とは何かを深く考えさせる契機を与えてくれます。こう書いているうちに、「公文書が消える国」と題した「耕論」の記事(朝日新聞・2020/1/22)を年初に読んだときの記憶が甦りました。平気で政権に都合の悪い公文書を破棄するこの国を(歴史)資料蒐集に心血を注いだ井上ひさしはどう思うでしょうか。

井上ひさしは数多くの戯曲を手掛けていて、ご存命中に幾度となく話題になったこまつ座の舞台を観なかったのは悔やまれてなりません。本展のサブタイトル、<希望へ橋渡しする人>は、最後の戯曲「組曲虐殺」(2009年)のこんな台詞のなかに登場します。

「絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。絶望から希望へ橋渡しする人がいないものだろうか-いや、いないことはない」

本展の見どころのひとつは創作の作法です。井上ひさしが創作に際して作成するという手書き年譜には細かい書き込みがあって、史実と照らし合わせながら、その間隙や隙間に想像力を掻き立てる痕跡が見て取れます。戯曲の場合、栄養ドリンクの空箱で三角錐を自作して、役者の写真を貼りつけるのだそうです。やがて、紙人形に魂が宿って、勝手に動き始めるのだといいます。紙人形を転がしながら劇作に熱中する井上ひさしを想像すると思わず笑みがこぼれます。

会場出口手前に据え置かれたDVDプレーヤーからは、井上ひさしが子どもたちに向けて書いた『井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法』(絵:いわさきちひろ)の音声が流れています。子どもたちだけではなく大人にこそ静聴して欲しい素晴らしい内容でした。「治者と非治者の自同性」をこれほどやさしく明快に紡いだ言葉を自分は知りません。「よく考えられたことばこそ、私たちのほんとうの力なのだ」、その通りだと思います。

最後にこれまで井上ひさしから教わった文章作法や読書作法の幾つかを書き留めておきます。こうした教えを日々大切な心得とさせてもらっています。また、蔵書の多くにびっしりと貼られた付箋には細かい文字で書き込みがありました。作文(創作)の心得はそのまま読書にも通じます。深く読むこと、読み解いていくことを生涯心掛けた井上ひさしの姿勢から多くを学ばなければなりません。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」


・短い文章を心掛ける(主語・述語が1組、一文は長くても5行前後、60字以内)
・主語と述語を明確にして、お互いを遠ざけない
・一般論は避けて、自分にしか書けないことを書く、常に自分を語れ
・誰にでも分かる文章で書く


・本は手が記憶する(本の読み方十箇条より)
・個人全集をまとめ読み (同上)

井上ひさしの舞台に登場した役者さんたちが勧める『雨』や『父と暮らせば』(全編広島ことば)はまだ手に取ったことがありません。没後10年をきっかけに未開拓の井上ひさし作品を少しづつ読み進めようと思っています。

十二人の手紙 (中公文庫)

十二人の手紙 (中公文庫)

本の運命 (文春文庫)

本の運命 (文春文庫)

カルティエから嬉しいオファー:42mmパシャのフリーメンテナンス

長男の成人祝いにプレゼントした腕時計42mmパシャ(SS)(写真下)のバックルが外れやすくなったというので、カルティエ銀座ブティックに出向いて調整をしてもらいました。あらかじめ予約さえ入れておけば、待ち時間なしでスムーズに対応してくれます。予約受付の応対もブティックでのそれも実に丁寧で申し分なく、さすがカルティエだと感心しました。

30分もかからずにバックルの修理は終了、しかも無料でした。帰り際、ブティックの担当女性から年内であれば、パシャのフリーメンテナンスが受けられると嬉しいオファーがありました。ライトポリッシュに加え、もし不具合があれば、無料で部品交換に応じて頂けるそうです。

詳しく聞けば、1985年に高級ラインとして復活したパシャを2020年にリバイバルした記念にパシャのユーザーにフリーメンテナンスを提供しているというのです。HPなどで公表されていないので、ブティックを訪れた顧客向けのサービスなのでしょうか。現行ラインは、35mmサイズのパシャCか27mmのミスパシャのみだったので、自動巻きムーブメントを備えたパシャ41mm(100m防水)(写真下)の登場は、大型サイズを待ち望んでいたパシャファンには朗報に違いありません。新作は高級感たっぷりで、ホワイトの文字盤には波模様のギョーシェ彫りが施されていて、装飾付属品にレザーストラップもついてきます。

パシャのデザイナーはかのジェラルド・ジェンタ(異説を唱える向きもありますが・・)。舷窓を意匠にしたオーデマピゲのロイヤルオークやパテックのノーチラスなど名作は数え切れませんが、一番美しいデザインは断じてパシャです。タイムピース本体にチェーンで固定された個性的な竜頭(リューズ)プロテクターがオシャレなデザインアクセントになっています。1930年代に三代目ルイ・カルティエがモロッコの太守(パシャ)から「水泳しながら身に着けられる時計が欲しい」と言われて制作されたパシャは、エレガントなスポーツウオッチの先駆けではないでしょうか。

今や廃盤の42mmパシャの存在感は抜群です。ときどき息子から借用させてもらっています。SSなので普段使いできる上、非日常シーンでも他の高級ブランド時計に引けをとらない輝きを放ってくれます。目下、42mmパシャは伊勢丹新宿本店のカルティエブティックにてメンテナンス中です。カレンダー機能付き新作41mmパシャを自分用にと・・・果たして買いたい衝動を抑えられるでしょうか。