<図書館文庫本論争>と<図書館不要論>

2017年の全国図書館大会の席上、文藝春秋社・社長が「できれば図書館による文庫本の貸し出しをやめてほしい」と発言して物議を醸しました、これを受けて、朝日新聞紙面に投稿した50代の女性は、軽量コンパクトで選択肢の広い文庫や新書を借りることが多いので、図書館からそれらが消えてなくなるのは困ると訴えたのです。ベストセラーなど新刊本を図書館で予約しようとすれば、彼女の言うとおり、予約倍率は優に3桁を超えます。ですから、図書館利用者にとって文庫や新書はなくてはならないリソースです。

図書館が文庫や新書の貸し出しを中止したからといって、出版社や書店の経営(本の売り上げ)が俄かに改善するようには到底思えません。そこには誰もが納得するような因果関係が認められないからです。著者・出版社/書店・読者の「三方よし」の実現は言うは易し行うは難しです。心情的には文庫本くらい自分で買いなさいという主張に与したいところですが、足元では文庫本の価格も高騰し続けていて、価格1000円超えの文庫は今や珍しくありません。紙代、運搬費、印刷費等の原価上昇はますます紙の本を手の届かないところへと押し上げているのです。

そうなると図書館の存在意義がますます高まりそうなものですが、図書館の利用者数や貸出冊数はいずれも減少の一途をたどっています。特に若者層の図書館離れは顕著で、今や図書館は高齢者の利用に支えられていると云って過言ではありません。定期的に通う隣駅の図書館「武蔵野プレイス」で週刊誌や新聞コーナーを占拠しているのは大抵高齢者です。一日中、冷暖房の効いた図書館で過ごすリタイア組も多いのではないかと推測します。

図書館が税金で賄われている以上、こうした図書館利用者の偏在は問題視すべきです。しかし、だからといって図書館が不要だなどと言うつもりは毛頭ありません。活字文化の砦が図書館であるという現実は将来も揺るぎないと見ています。経済的ゆとりのない世帯にとって図書館は依然大切な存在です。開架書棚にあらゆるジャンルの本が揃っているのを見ると、自然、知的好奇心を掻き立てられます。そんな現実空間を提供してくれるのは図書館以外あり得ません。若い世代の図書館離れを招いている原因のひとつは、旧態依然の書庫然とした運営に頼る図書館側にあるように思えます。若い世代にかぎらず、情報源としての図書館のメリットに気づいていない人が多いのも事実です。先に言及した「武蔵野プレイス」にはワークショップや展示発表のできる多目的スペースやスタジオが設けられ、利用時間も9:30~22:00と通勤帰りの社会人にも配慮が窺えます。知的創造拠点を掲げ、あるべき図書館の未来像を具現化した「武蔵野プレイス」の成功は、生き残り策を模索する図書館にとって確かな羅針盤になったのではないでしょうか。コスト削減重視の指定管理者制度に頼る図書館運営はそろそろ見直しが必要だと考えています。

一方、街の書店の減少には歯止めがかかりません。日経によれば、2012年に1万6722店あった全国の書店は2022年に1万1952店まで減少(10年間で約3割!)しています。全国の市区町村の約26%(456市町村)は書店0だといいますから驚きです。人口減、活字離れ、ネット通販の普及で書店の未来はかぎりなく昏いのです。図書館改革と共に、活字文化の担い手である街の書店の生き残り策を自治体と住民が一丸となって真剣に考えていかないかぎり、大都市圏以外から早晩書店は消えていく運命でしょう。