エマニュエル・トッド著『問題は英国ではない、EUなのだ』を読む

ここ数年、フランス出身の論客の活躍が目立つように思います。2014年暮れに話題になったトマ・ピケティの『21世紀の資本論』に続いて、近年、仏歴史学者エマニュエル・トッド氏が相次いで刺激的なタイトルの著作を上梓しています。『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)とか『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」』(同左)といった煽情的なタイトルとは対照的に、内容は頗る分析的で説得力があります。

英米グローバリズムの終焉をかねてより予言していたトッド氏の新刊『問題は英国ではない、EUなのだ』を読むと、英国のEU離脱米大統領選におけるトランプ候補への支持の背景にある共通した兆候について否応なく考えさせられることになります。「グローバリゼーション・ファティーグ(グローバル化に伴う疲労)」と命名された病が英米に蔓延し始めたことが、20世紀後半を主導してきた国家観(特に国境なき世界であるユーロ圏)を大きく揺さぶり始めたのです。グローバル化によって中間所得層や高齢者の賃金低下が顕著となり、人々は生活水準の切り詰めを余儀なくされ退職後の不安に苛まれるようになります。移民の受け容れに対する辛抱も臨界を迎えてしまったのかも知れません。

共和党の大統領候補トランプ氏は、無償で日韓やサウジなどに駐留軍を派遣して防衛する必要なしとまで断言します。大国アメリカのナショナリズムへの回帰に他なりません。英国は大方の予想に反して国民投票EU離脱を決めてしまいました。英エリート層が自国民との対話を蔑ろにし寛容ではなくなったと普段は温和な労働者階級が判断したからです。フランスのエリート層のプチ・ブル化も似たような現象だとトッド氏は指摘します。エリート(指導者)層へのレスペクトが徐々に低下していることは明らかです。

英国人がユーロ圏を見放したのは、単なる経済的理由に基づくものではなく、彼らにはユーロ圏が「緊縮と停滞のゾーン」どころか「反民主主義的な権威主義的逸脱の空間」と映ったからだとトッド氏は言い切ります。英国EU離脱の直接的要因はEUにありと。解体しつつあるEUにとどめを刺したのが移民危機でした。そう考えれば、トランプ現象も国民国家への回帰・主権の回復願望も上手く説明がついてしまいます。日本も鎖国によって軋轢を避け自律発展を遂げた江戸時代を懐かしみ、日本回帰を強めているのだと・・・・

移民問題で窮地に立たされているメルケル首相には同情を禁じえませんが、トッド氏のいうように噴出する副作用に有効な処方箋を書けないまま移民受け容れを継続するのは、ある意味、アンチ・ヒューマンなのかも知れません。世界は分岐・分散に向かっているというトッド氏の洞察がまたしても現実のものになるのか、11月8日の米大統領選の行方には目が離せません。