曼珠沙華群生地の巾着田を訪れて

旧暦9月は長月、夜が次第に長くなるので「夜長月」というのが由来だそうですが、雨が多く降る時季にあたるので「長雨月」という説の方が説得力があるような気がします。念のため、気象庁のサイトを確認してみると、今年の東京は断トツで9月の降水量が多くて321㎜(9/29現在)でした。新暦10月の降水量も多そうです。行楽の秋、登山やトレッキング予定を入れているだけにお天気が心配です・・・。

先週末、自宅から休日上手く電車を乗り継げれば、1時間ちょっとで行ける巾着田(きんちゃくだ)へ曼珠沙華を見に出掛けました。小雨のなか自宅を出て、電車で移動しているうちに晴れてきて、日差しの下で写真撮影することができました。この季節になると、毎年、ニュースが見頃を迎えた曼珠沙華の様子を報じてくれるのに、なかなか行く機会がありませんでした。場所は埼玉県日高市西部。余談ですが、ラーメンチェーン店の「日高屋」の創業者は、この日高市のご出身だそうです。最寄駅は西武池袋線高麗(こま)駅になります。巾着田という地名の由来は、曼珠沙華群生地の周囲を流れる高麗川(こまがわ)が大きく蛇行湾曲して、空からみるとまるで巾着のような形に見えるからだそうです。

実際に足を運んでみると、北西から川に沿って南東へと下り、北へ回り込むような地形だと合点がいきます。今年は9月15日から30日までの日程で、「巾着田曼珠沙華まつり」が開催されています。上流域は少し見頃を過ぎていましたが、下流域は見事な曼珠沙華の絨毯でした。500万本を数える日本一の曼珠沙華の群生地なのだそうです。緑色の茎が長く伸びて一斉に10センチ前後の花を咲かせる曼珠沙華彼岸花(ひがんばな)と呼ぶより、サンスクリット語で<天上の花>を意味する曼珠沙華と呼ぶ方がロマンティックですね。注意して歩くと、数はきわめて少ないものの白い曼珠沙華も見つかります。球根が強い毒性をもち墓地によく植えられたりするので、冥界との結びつきを想像しがちですが、清流の水音に耳を澄ましながら、眺める曼珠沙華群落は文句なしの絶景です。お昼ごはんは、ドレミファ橋を渡って左手の河川敷でおにぎりを頂きました。こちらも最高の休憩スポットでした。

極上のシネマコンサート〜「ニュー・シネマパラダイス」〜

この三連休の初日は、東京国際フォーラムで開催されたシネマコンサートへ。フィルムは大好きな「ニュー・シネマパラダイス(1988年)」。イタリア公開30周年記念のシネコン世界初演!と知って、2ヶ月以上前に先行予約していた公演でした。欧米で先行したといわれるシネマコンサートが日本に上陸し注目を浴びるようになったのはここ数年のこと。クラシックコンサートは敷居が高いと感じる人でも、お気に入りの映画をフルオーケストラの生演奏で楽しめるのですから、じわじわと人気が高まっているのでしょう。驚いたのは、開催場所が東京国際フォーラムのホールAだったこと。客席数が5000を超える都内屈指の大ホールを果たして埋め尽くせるのでしょうか・・・・・・余計な心配でした。公演は2日間、にもかかわらず初日の9/15、17時の開演直前に周囲を見渡せば、客席の9割近くがしっかり埋まっておりました。

89年に日本で初公開されたのは客席数わずか200足らずのミニシアター「シネスイッチ銀座」でした。口コミで評判となり異例のロングランを記録、単館映画興行成績No1に輝いた「ニュー・シネマパラダイス」の魅力は今も健在でした。会場に足を運んだ観客ひとりひとりがどこかノスタルジックな感懐を一様に抱いていたように感じます。

舞台はイタリアのシチリア島。映画は、冒頭、年老いた母親がトトに電話を掛けるシーンからスタートします。静かに奏でられるメインテーマのメロディがシチリアの青空と見事にシンクロして、懐かしい記憶を呼び覚まします。それは、30年間、故郷に戻らなかったトトの幼少時の記憶であり、同時に、初めてこの映画に触れたときの観客ひとりひとりの記憶でした。

巨匠エンニオ・モリコーネが紡いだ音楽が、シチリア島の小さな映画館を中心に繰り広げられる村人の暮らしにときに優しくときに哀しげに寄り添います。大編成の東京フィルハーモニー交響楽団のライブ演奏からは、映画で流れるBGMより総じて透き通った印象を受けました。スクリーンに集中しているときは、ライブ演奏だということを暫し忘れてしまいます。そして、沈黙が訪れるシーンになると再びライブだと気づかされるのです。20分間のインターミッションが終わると、フィルム抜きでテーマ曲が間奏曲として演奏されました。オーケストレーションだけを愉しむ時間が設けられているのも一興だと思いました。

映画のクライマックス、トトことサルヴァトーレがアルフレードの葬儀に参列するために30年ぶりに帰郷し、取り壊し寸前のニューパラダイス座で独り回想に浸るシーンでライブ演奏とシンクロする数分間が至高の時間でした。初めて経験したシネマコンサートが「ニュー・シネマパラダイス」だったのは、今年一番のセレンディピティのお陰に違いありません。

『孤高の人』加藤文太郎の生涯

最近、加藤文太郎の生涯を描いた伝記小説『孤高の人』(新田次郎著)を読み終えたところです。文庫二冊で千頁に及ぶ大著だけに、かなり読み応えがありました。兵庫県浜坂町に生まれた加藤文太郎は、大正12(1923)年ごろから山歩きを始めます。小説の冒頭、ナッパ服(黄土色の作業服)に下駄履きといういで立ちの文太郎は、神戸の後背地から下山したところで、職場(神港造船所)の技師で研修講師の外山三郎と出喰わします。この出会いが文太郎の数奇な運命の始まりでした。大学時代、山岳部に所属していた外山は、ほどなく文太郎の山登りの才覚に気づき、山登りの手ほどきをしながら会社の山岳会に誘います。ところが、元来シャイな性格の彼は誘いになかなか応じようとしません。

登山が貴族階級か大学登山部の独壇場だった大正以前のこと。昭和に入ると、文太郎のような社会人による登山が次第に一般化していきます。「時間と金いずれにも恵まれない文太郎の存在こそ価値がある」と地元山岳会会長に作者新田次郎は言わしめます。冬山に至ってはなおさらです。一介のサラリーマン登山家に過ぎない文太郎は、剱岳をめざす道中で6人のパーティと遭遇し、山小屋さえ追い出され、案内人を伴わない単独行の寄る辺なさを痛いほど味わいます。「冬山は金持ちだけものであろうか」と文太郎は思わず呟きます。よく言えばパーティ、しかし、冬山で出会ったパーティは功名心に駆られた排他的な登山家集団でした。こうした不幸な出会いは、却って、文太郎が「単独行」に前のめりになる契機を与えることになります。新田次郎は、加藤文太郎の生涯を描きながら、いわゆる「極地法」やパーティ登山と対峙する「アルパインスタイル」の長所や可能性を明確に意識していたように思います。新田次郎の山岳小説の最大の魅力は、こうした山岳史や時代背景に目配りしながら極上の人間ドラマを創りあげた点にあります。

高峰の冬季登山がまだ一般的ではなかった昭和初期に、創意工夫を重ねながら単独で北アルプスをはじめとする厳寒の山々を駆け抜けた加藤文太郎には、『単独行』という自著があります。ヤマケイ文庫の奥付を見ると文庫化されてからも八刷を重ねています。今や、登山グッズ店に足を運べば多種多様なクライミング・ギアが溢れかえっています。そんな時代にあってなお版を重ねる『単独行』には、アルピニストの原点ともいうべき虚飾のない姿が刻まれているからでしょう。文太郎は、結婚後して一年足らずで、旧知のザイルパートナーと挑んだ北鎌尾根で遭難死することになります。享年31歳でした。ヤマケイ文庫の解説によれば、『孤高の人』の加藤文太郎は不覊独立のイメージが強すぎて、やや美化されたきらいがあるのだそうです。実際は、人並みに山仲間と交流もあったようです。 近代登山の黎明期にあって、学歴のない一介の会社員に過ぎなかった文太郎が造船所の仕事に打ち込み技師に登りつめる一方で、独力で登山技術を習得し職業登山家を遥かに凌駕する実績を挙げたその生涯は、豊衣飽食の現代なればこそ、ひときわ輝いて見えるのです。

新編 単独行 (ヤマケイ文庫)

新編 単独行 (ヤマケイ文庫)

一幕見席で観る「祇園祭礼信仰記 金閣寺」


先週末は、知人が上京、一度歌舞伎が観てみたいというので9:30過ぎから切符売場に並びました。すでに30人ばかりが待機していましたが、一幕見には椅子席が90席ありますから、切符売出の1時間前に歌舞伎座へ足を運んで正解でした。一幕見席のセンター左に席を確保、開演まで近くのプロントでアイスコーヒーを飲みながら小休止。

初めて歌舞伎を観る人には、筋書きが分かりやすく、かつ、舞台が華やかな演目をお勧めします。その点、<秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)>最初の演目、「祇園祭礼信仰記 金閣寺」(4段目)は、桜花爛漫の金閣寺が舞台ですからうってつけでした。上演時間も1時間半あるので、一幕見乍らじっくり舞台を堪能できます。

天下取りを企む松永大膳に捕らわれ金閣寺に幽閉されるのは、足利将軍の母慶寿院(福助)と雪舟の孫娘雪姫(児太郎)。そこへ智謀を備えた此下東吉(梅玉)が大膳に仕官を申し出て、大膳の無理難題を見事に解決し召し抱えられます(「碁立」)。その狙いは慶寿院の救出でした。

中盤は、桜の木に縛りつけられた雪姫が、桜吹雪の下、足で集めた花弁で鼠を描くと、白鼠が二匹現れ縄を喰いちぎって雪姫を解放します。姫は夫の元へと急ぎます。終盤を迎えると、舞台中央の金閣寺がセリ上がり、東吉は最上階に幽閉された慶寿院を救出。再びセリが下がると、槍を振り回して激怒する大膳が現れ、東吉と大膳のふたりは戦場での再会を約して幕切れとなります。

豪華絢爛な舞台を妖艶な所作で彩る児太郎の雪姫は実に見応えがありました。「三姫」のひとつに数えられる難役を初役とは思えない繊細な表現で見事に演じ切ってくれました。尾上松緑(四代目)の演じる大膳は全身から力が漲り、客席の隅々まで朗々と響く台詞回しは絶品でした。これに対して、梅玉の此下東吉は最初から最後まで弱々しい印象、おまけに声が小さくてが4階席まで届かないのでガッカリさせられました。こうした瑕瑾こそあれ、「金閣寺」はまた見てみたい演目です。

大波乱の2018年全米OP女子テニス決勝戦〜チームナオミの完全勝利〜

起床が遅れてWOWOWにチャンネルを切り替えたら、すでに第2Gが始まっていました。対戦相手は最強女王のセレナ・ウイリアムズ。大坂なおみ選手の試合運びは、SF同様、粘り強くラリーを続けるスタイル。ポイントを失えば、すかさず得意のサービスエースを繰り出しリカバリ、第1セットは6-2でつけ入る隙を与えない勝利でした。

ところが、第2セット序盤で思わぬ大波乱が起こります。観客席のコーチからアドバイスを受けたと警告を受け、これに納得しないセレナが「私はそんなズルイことは決してしない」と主審のカルロス・ラモス氏に執拗なまでに食い下がります。ビデオが流されると、確かにコーチが身振り手振りでセレナにメッセージを伝えているように見えました。解説の伊達さんは「前後に揺さぶれ」という指示にも映ると指摘。この時点でセレナが著しく感情を害したことは確かですが、サラッと気持ちを切り替えて試合を続行すれば何事もなかったように思います。しかし、セレナの怒りは収まりませんでした。コートに叩きつけられたラケットは無残にひん曲がります。この行為でポイント・ペナルティを喰らったセレナはさらに激昂、主審を「嘘つきの盗人」呼ばわりして謝罪を要求、とうとうゲーム・ペナルティを科されてしまいます。客観的に見て、セレナの抗議は度を越していました。第2セットのスコアは5-3に。会場は騒然となって、大坂なおみ選手も戸惑いを隠せません。彼女は背を向けていて何が起きていたのか分からなかったと試合後で振り返りますが、会場は完全にセレナの味方、ブーイングはあっという間に増幅していきます。セレナが試合をボイコットするのではと俄かに心配になりましたが、なんとかプレイは再開。セレナも次第に落ち着きを取り戻していきますが、それ以上に冷静沈着だったのはチャレンジャー大坂の方。第2セットで1ブレイク許したものの、すぐにブレイクバック、1ブレイクアップと忽ち挽回してしまいます。終わってみれば、大坂まゆみ選手の鮮やかななストレート勝ち。弱冠20歳が日本人男女通じて初となるグランドスラム覇者となりました。試合終了直後にはガッツポーズも満面の笑みもなく、コートサイドへ向かう途中で、涙を隠そうとサンバイザーの鍔を目深にする仕草が実に印象的でした。

表彰式になると、セレナが会場のブーイングを押しとどめ、ようやく新女王を讃えるセレモニーらしく会場の雰囲気が穏やかになります。大坂はインタビュアーの質問には答えず、「(会場の)みんなが彼女を応援しているのは知っている。こんな終わり方でごめんなさい。ただ、試合を見てくれてありがとう」と意外な言葉を弱々しく口にしました。偉大な女王セレナへのレスペクトを込めた大坂のメッセージに、忽ち、観客は静まり返り固まってしまったように見えました。会場の空気は一変、セリナに感情移入しブーイングを鳴らした多くの観客が我を取り戻した瞬間です。挑戦者大坂なおみこそ、2018年の全米OP勝者にふさわしいと誰もが心から納得した瞬間でもありました。

些か後味の悪い試合でしたが、大坂なおみの急激な進化と試合巧者ぶりは手放しの賞賛に値します。歴史的快挙の陰に結成してまだ日の浅いチームナオミの存在がありました。昨年11月に就任したばかりのイケメンコーチ、サーシャ・バヒン(33)は今回の決勝の相手セレナのヒッティングパートナーを長年務めた方で、その手腕がGS初制覇の原動力だったのでしょう。小さい頃からまゆみさんにテニスの手ほどきをしたお父さんも、新任コーチが選手目線で指導する点を高く評価しているのだそうです。S&Cコーチのシラーもセレナの下でサポートしていた経験があるそうです。女王育成レシピを知り尽くしたチームナオミがわずか一年足らずで偉大な成果を出したというわけです。2013年9月の東レパンパシ予選で敗退した大坂のずば抜けたポテンシャルを見抜いて、強化に走った協会代表コーチ吉川真司さんの慧眼も忘れてはいけません。

シーズンも終盤を迎えましたが、錦織圭選手も復調し、大坂なおみ選手は別次元へと進化。全米制覇に勢いを得た彼女の破竹の快進撃と錦織選手のGS制覇にますます期待が膨らみます。

祝:大坂なおみ2018年全米OPテニス女子シングルス決勝進出


大坂なおみ選手(20)が錦織圭選手とともに全米OPテニスのベスト4に進出。そして、今日、大坂選手はストレートでキーズ(米)を破って、ファイナルへ駒を進めました。こんな日がこれほど早くやって来ようとは、感極まれりです。アメリカ育ちの大坂なおみ選手のお父さんはハイチ共和国出身、お母さんが日本人なのでテニス選手としての登録は日本国籍です。たどたどしい日本語で試合後のオンコートインタビューに応える大坂選手はとてもチャーミングです。英語のインタビューともなれば、天真爛漫な性格からか珍妙な受け答えが持ち味です。面白すぎるナオミ語録をBBCが特集したくらいです。

さて、今日のSFの相手はアメリカ人のキーズ(23)、昨年の全米OPテニスの準優勝者でした。会場は完全アウェイ、そんな不利な雰囲気をものともせず、大坂選手は得意のパワーテニスに加え、長いラリーを続けながらチャンスをモノにする辛抱強さも遺憾なく発揮。13回に及んだキーズのブレイクチャンスを悉く粉砕したのも、随所で頭脳プレイを織り交ぜるようになったのも大坂選手の恐るべき進化の証しです。

錦織圭選手が登場するまで、世界水準のテニスを牽引してきたのは女子でした。伊達選手、沢松選手、杉山選手など、GSに10人余りの日本人女子プレーヤーが出場していた時代もありました。彗星の如く桧舞台に登場したかに見える大坂なおみ選手は、ある意味必然、こうした歴史の承継者ともいえるでしょう。

決勝の相手はGS23回の優勝を誇るセレナ・ウイリアムズ、36歳ながら故障から復活してきた歴戦の勇者です。彼女と戦いたいがために凌いだという13回のブレイクポイント、その切なる願いが実を結び、いよいよ9/9日本時間4:45、世紀のマッチが始まります。

唐津の「ぐい呑」を買う〜「備前の徳利、唐津のぐい呑み」〜


しぶや黒田陶苑で毎年この時期に開催される「双頭ノ酒器展」に足を運びました。今年の夏の異常な暑さのせいでしょうか、9月の声を聞くや、どんこ椎茸の味噌焼きでも肴に無性に盃を傾けたくなりました。ひと口に酒器と云っても、猪口や徳利に始まり、片口や燗つけのちろりなど様々なかたちが存在します。長いときを経て、酒を愉しむための豊かな器文化が醸成されてきた証左です。


なかでも、「ぐい呑」は収集対象になるくらい人気があります。盃より少し大きいサイズのせいか、造形に工夫の余地が多そうそうです。焼締が好みなので備前の「ぐい呑み」を重宝していますが、「備前の徳利、唐津のぐい呑」というしぶや黒田陶苑のパンフはしがきに惹かれて、藁灰を混ぜて焼成されるという「斑唐津」(西川弘敏作)と「美濃唐津」(鈴木都作)の「ぐい呑み」2点を買い求めました。共箱が出来て手元に届くのは数週間後、お酒を育むという「ぐい呑み」ですから、ふさわしいお酒を探さなければなりません。

写真上は、ギャラリーでひと目ぼれした金重道明さんの備前徳利と小山冨士夫さんの絵唐津酒觴です。この取り合わせは最高です。