『村上龍 失われた10年を問う』再検証

日経平均の昨年末終値は33464円。コロナ禍が終息し、日経平均は年率28%(S&P500は年率23%)の上昇となりました。それでも、平成元年(1989)12月29日に記録した最高値38915円には届きません。30年以上経っても史上高値を更新できないわけですから、「失われた30年」と呼んで差し支えないでしょう。日本経済の長期にわたる低迷の元凶が大蔵省による不動産関連融資の総量規制という名の行政指導と鬼平三重野総裁率いる日銀の金融引き締めにあったことは明らかです。金融当局主導のハードランディングでバブル経済はものの見事に崩壊し、深刻な副作用に日本経済は長く長く苦しむことになるのです。

年初にあたり、2000年に出版された『村上龍 失われた10年を問う』(村上龍編著・NHK出版)を読み返してみました。NHKスペシャルを出版化した本書には、JMM編集長・村上龍の対談が収録されています。対談相手は、元大蔵官僚や経済学者、小倉昌男カルロス・ゴーンら当代の論客です。

「昔は良かった」と高度経済成長期を単に賞賛するだけではなく、本書はバルブ崩壊の原因を丁寧に分析し、日本のあるべき将来を論じています。しかしながら、結果論として、日本はバブル崩壊後の針路を見失ったまま今日に至り、世界に先駆けてイノベーションを起こすことはありませんでした。マグニフィセント7が跋扈する今を着想することさえ出来なかったのです。年功序列と終身雇用という仕組みが創造性のない過当競争を延々と正当化し続けたために、日本の競争力は低下する一方でした。こうして明快にバブル敗戦を分析した森永卓郎氏は「革命的な商品はもう生まれない」と嘆いていますが、海の向こうではIT分野を中心に驚くようなブレイクスルー・イノベーションが進展していたのです。結局、幕末に黒船がやって来て開国を迫られたように、21世紀を迎えても、日本は外からの影響抜きでは変われない国なのかも知れません。

森永氏が指摘するように、日本人の問題は同じような価値観・ライフスタイルを良しとする点です。晩婚化、非婚化、少子化が急速に進展する日本社会においては、「いい学校を出ていい会社に入り、幸せな家庭を築く」ことさえ、実現困難なゴールになりつつあります。失われた10年を問うている間に、日本人は否応なくかつて良しとされた人生設計をトレースすることが出来なくなってしまったのです。人口減少、社会保障費の際限なき増大、老老介護孤独死、円安ドル高、増税・・・閉塞感漂う時代において、もはや、人並みの生活はないものねだりです。目まぐるしい変化に晒されて、日本人は多様な生き方を模索するしかなくなったと言えます。