たかがTシャツされどTシャツ〜『村上T』を読んで〜

最近、村上春樹の小説は進んで読む気がしません。2009年〜2010年にかけて刊行された『1Q84』シリーズを分岐点に、村上ワールドからは遠ざかっています。デビュー当時の瑞々しい作品群はともかく、今では、肩の力を抜いた軽快な語り口のエッセイやマラソン・音楽をテーマにしたノンフィクションを贔屓にしています。肉声の聴ける東京FMの村上ラヂオもたまに聴いて愉しんでいます。

今年6月に刊行された『村上T 僕の愛したTシャツたち』は、装幀に惹かれて衝動買いしました。出版社はマガジンハウス。縦140×横135mmという正方形に近いブックサイズがハンディでオシャレです。表紙にはビーチサンダルでコーラの一部ロゴを隠した赤いTシャツが、カバーを剥ぐと”TONY”TAKITANIと書かれた黄色いTシャツが現れます。裏表紙然りです。かくして、108枚のTシャツが18篇のエピソードと共に紹介されています。

71歳になった村上春樹の近影を見ると、今や、好々爺の風情。それでも、Tシャツが似合うお爺さんというのはカッコイイものです。アメリカ文学の影響を強く受けた村上春樹にTシャツほどピッタリくるカジュアルウェアは他にありません。

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僕が人生においておこなったあらゆる投資の中で、それは間違いなく最良のものだったと言えるだろう。――「まえがき」より。

「つい集まってしまったTシャツ」というキャッチフレーズは、村上春樹の本心であろうはずがありません。ショップを見つけたら必ず物色する、コレクターの性とはそういうものでしょう。驚いたのは、村上春樹の短編のなかでもお気に入りの佳作「トニー滝谷」が、マウイ島で買った1ドルのTシャツに触発されて書かれたこと。作家の縦横無尽な想像力には恐れ入ります。

レコード、車、大学、熊、ウイスキー、ビールなどなど、紹介されている安価なTシャツ一枚一枚に思い出やエピソードが詰まっていて、なかなか手放せないのがよく分かります。ハインツのケチャップTシャツ(“I PUT KETCHUP ON MY KETCHUP”) なんて、ケチャップ好きのアメリカ人を揶揄した傑作です。コレクションのなかには、「気を落ち着けて、ムラカミを読もう」と英語で書かれたノベルティTシャツがあって、本人は気恥ずかして着用できないそうです。村上ファンなら是非とも欲しい一点でしょう。

最近、自分もUTを愛用していて、夏場、スポーツジムに通うときは大抵ジーンズにTシャツ姿です。種類豊富なUTは、殆ど被らないので安心です。ひと目で柄が分かるような図柄は避けて、目を凝らして見ないと意匠が定かではないアルファロメオ(遠目で車には見えます)やネイビーブルーの獺祭Tシャツを愛用しています。

『村上T』掲載の108枚で気に入ったのは、高尚な英国経済誌エコノミスト』の赤いTシャツとハイネケンのTシャツ。30代前半、真夏のセントラルパークで「ハイネケンバドワイザー」と連呼する売り子から缶ビールをよく買ったものです。

Tシャツといえば灼熱の夏、<Tシャツにはビールがよく似合う>。『村上T』を読んでいるうちに、無性に内外ビール会社のロゴをあしらったTシャツを蒐集したくなりました。