エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの名前を知らない人はいないでしょう。1953年5月29日午前11時30分、エベレスト初登頂を成し遂げたのがこの2人です。
登山史に燦然と輝くこの偉業達成の29年前、エベレスト頂上アタックに挑んで姿を消したジョージ・マロリーと『サンディ』ことアンドリュー・アーヴィンの名を知っている人は数少ないのではないでしょうか。エベレストに登る理由(WHY did you want to climb Mount Everest?)を問われ、””Because it's there"(そこに山があるから)と答えたのがジョージ・マロリーです。正確には未踏峰エベレストがそこにあるからだということでしょう。
アンドリューの登山靴(Photograph by Jimmy Chin)
アンドリューが履いていた靴下とネーム刺繍(Photograph by Jimmy Chin)
つい最近、ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー撮影チームが、100年前にエベレストで消息を絶った英国人登山家「サンディ」ことアンドリュー・アービンのものと見られる登山靴とご遺体の一部を発見したと発表し、俄かに胸の内がざわつき始めました。ネームタグがあるので間違いなく『サンディ』の登山靴でしょう。
四半世紀前に読んだ米捜索隊による独占手記『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』(文藝春秋・1999年)の記憶が甦ってきたからです。序文で、マロリーの長女クレア・マロリーさんがアーヴィンについてこう言及しています。
「父は頂上アタックの際に、経験豊富な登山家のノエル・オーデル隊員ではなく『サンディ』アーヴィンをパートナーに選びました。そう決断したのは、登頂の成否の鍵を握る酸素器具を完全な状態にしようと、アーヴィンがたゆまぬ作業をつづけてきたからだと思います」
マロリーのご遺体が国際捜索隊によって発見されたのは、遭難から75年後の1999年のことです。本の口絵にはミイラ化したご遺体や遺愛品の写真が掲載されています。マロリーのご遺体発見から25年目に、頂上アタックパートナー『サンディ』の登山靴とご遺体の一部が見つかったことに運命的なものを感じています。
今回の発見が注目される大きな理由があります。アーヴィンが「ベスト・ポケット・コダック」というカメラを携行していたと考えられているからです。もしそのカメラが見つかり、山頂で撮影した未現像の写真が残っていれば、エベレスト初登頂が29年遡ることになるのです。
今回の発見が、マロリーと『サンディ』の勇敢なる頂上アタックが再評価される契機になればと願っています。先の独占手記本は、第8章で彼らをこう讃えています。超人的な能力を有した彼らにとって、エベレスト登頂は決して無謀なチャレンジではなかったのです。そもそも、彼らはエベレストに徒歩で入山しているのですから。
「過去の記録からわかるのは、彼らが素朴で尊大な素人などではなく、打たれ強くて、有能で、考えられないくらい頑健な登山者だったということだ。彼らは、現在では当り前になっている最新式の道具類など何も持たずに、地図もない土地で、くり返しくり返し成功をおさめている。それも赫々たる成功を。」