吉村昭の『碇星』と急増する高齢者の「おひとりさま」

しばらく足が遠のいていたジュンク堂吉祥寺店を覗いたところ、かなりレイアウトが変わっていて少々戸惑いしました。店員曰く、6月上旬に改装し、6階に「新刊・話題書」棚と文具売り場が設けられた由。思えば、欲しい本があると、最近は専らe-honの書店受け取りサービスを使っています。注文書の受け取りは、決まって最寄りの啓文堂ですから、隣駅のジュンク堂に出向く必要がないのです。

リニューアル後の書棚の位置関係を検めている際中、手書きのポップに誘われて購入したのが吉村昭の短編集『碇星』です。「碇星」は秋の季語でカシオペア座の和名です。句集も出している吉村らしいタイトルです。

8篇のうち5篇の主人公は、60代〜70代の会社を定年退職した初老男性です。あとがきで1990年代に書かれた作品だと紹介されています。定年退職によって会社という居場所を失った中高年男性の悲哀が、淡々と描かれています。バブル崩壊によって日本経済が失速する時代背景に鑑みれば、致し方ないのかもしれませんが、描かれた定年退職者は例外なく淋しげで微塵も覇気が感じられません。離婚をひた隠しにしたまま孤独死する男を同級生の視点で描いた作品が「受話器」です。離婚のストレス度合いは、「配偶者の死」に準じると言えそうです。

さらに、妻に先立たれた男性の末路は痛々しいかぎりです。25〜30年前、定年を迎えた男性はこんなに寄る辺なき存在だったのかと、疑いの目を向けたくもなります。人物造形があまりに昭和のプロトタイプなので、現役世代の読者は解説がないと理解に窮するかもしれません。雇用が流動化し、新卒の3人に1人が3年以内に転職する時代ですから、定年退職は早晩「死語」になるに違いありません。

この四半世紀で冠婚葬祭の形は大きく変容し、90年代当時から変わらないのは「熟年離婚」だけではないでしょうか。5篇のなかのひとつ「寒牡丹」のテーマは「熟年離婚」。定年退職を契機に妻から離婚を切り出された主人公の心の葛藤が、季語「寒牡丹」に託されています。2023年の離婚件数に占める「熟年離婚」の割合は23.5%で過去最高だそうです。

たまたま喫煙コーナーで知り合った3人が、お互いにいずれ訪れる死に際して、病院お見舞いに始まり通夜や葬儀に出席することを約します(「喫煙コーナー」)。遠い親戚より近くの他人と言いますが、今や、「単独世帯」が約40%、内ひとり暮らしの高齢者が全世帯の2割を占める時代です。老後の「おひとりさま」で悲惨なのは、圧倒的に男性の方です。非婚と離別が男性の孤立度を加速させているのです。

17年前、『おひとりさまの老後』を書いた上野千鶴子は、男性は人間関係を作るのが下手だと言います。理由は、男性ばかりの同質的企業組織にあって覇権競争に明け暮れたが故に、心を許す友人関係を築けないからだと分析します。女性に比べ、相互扶助のネットワーク作りが不得手な男性は、確かに孤立度を深めるリスクが高そうです。上野女史に異論を挟みたい点が多々ありますが、長くなったので稿を改めることにします。