<作家・大西巨人>展@二松学舎大学九段一号館

2月29日(土)、<作家・大西巨人-「全力的な精進」の軌跡->展を見ようとと二松学舎大学を訪れました。午後に予定されていた「父親としての大西巨人」と題する息子大西赤人氏の講演は、新型コロナウイルスの感染拡大防止措置の一環で中止になってしまいました。大学HPで事前告知されていなかったので、急遽中止が決まったようです。幸い、九段1号館地下3階のこじんまりとした大学資料展示室の企画展は開催中でした。熱心な来館者ばかりで驚きました。

1978~80年にかけて光文社から刊行された、戦後文学の金字塔と言われる『神聖喜劇』全五巻を学生時代に通読して以来、寡作の作者大西巨人は2014年3月に97歳で亡くなるまでずっと気になる存在でした。作者の死後、漫画版『神聖喜劇』全六巻が刊行(2006年)されたときは、よくぞこの怪物的巨編をコミックに仕立てたものだと感心したものです。特に登場人物が見せる様々な表情がのぞゑのぶひさの手で丹念に描かれていて、その出来栄えは見事というほかありません。『神聖喜劇』といえば、大学教養部で哲学を受講中、M教授が「最前列でこんな授業を聞くより、『神聖喜劇』を読め」と韜晦してみせたときのことをよく覚えています。大西巨人はライフワーク『神聖喜劇』を四半世紀をかけて完成させました。原稿用紙にして4700枚に相当する労作です。この企画展が二松学舎大学で開催されたのは、最近、同大が段ボール20箱超の非公開資料を遺族から寄託されたことがきっかけのようです。

初めて目にする生原稿の筆跡は、『神聖喜劇』第一部書き始めの頃は細いペン先で書かれたと思われる端正な楷書、次第に原稿用紙の升目一杯に拡がる丸みを帯びた太い文字へと変化していきます。興味深かったのは執筆資料、なかでも登場人物の名前や階級を記載した対馬重砲兵聯隊の組織図や銃剣の仕組図でした。壮大な長編小説の着手にあたって、細部にこだわり周到に準備していたことが分かります。

主人公の東堂太郎は博覧強記、不条理が罷り通る軍隊組織に尋常ならざる記憶力を以て向き合います。『神聖喜劇』を読み進めるのがしんどいのは、東堂太郎が諳んじてみせる古今東西の文献からの引用が厖大だからです。原典に立ち戻り、主人公の記憶の迷宮へ引きずり込まれると、なかなか兵営には戻ってこれません。

身体検査の際、東堂太郎は学校の先輩である軍医から胸を患っているから帰郷処分にしてもよいと寛大な申し出を受けながら、これを断り教育召集兵として入隊します。作者が1942年に対馬要塞重砲兵聯隊に入隊したときの覚悟が主人公東堂太郎に仮託されています。舞台は砲弾が飛び交う前線ではありません。にもかかわらず、聯隊で日々生じる様々な不条理や責任阻却は、コンプライアンス重視の今日でさえ、組織であれば多かれ少なかれ抱えている問題でもあります。『神聖喜劇』は、平時にこそ、熟読されるべきだと思います。

神聖喜劇』の最終章はこう締めくくります。

”私は、この戦争に死すべきである”から”私は、この戦争を生き抜くべきである”具体的な転心 (中略)

”一匹の犬”から”一個の人間”へ実践的な回生・・・そのような物事のため全力的な精進の物語り(本企画展のサブタイトル)

・・・・別の長い物語りでなければならない

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)