享年に自分の年齢を重ねて

日経夕刊に連載中のエッセイ「人生後半はじめまして」を拾い読みしています。著者はエッセイストの岸本葉子(1961年生)さん(写真・下)。シングル女性のさりげない視点で、日々の暮しに纏わる発見や気づきを丹念に綴っています。武蔵野市にお住まいで世代はほぼ同じ、生活圏が被るせいもあって親近感を覚える内容が少なくありません。

12月6日のエッセイはこんな書き出しで始まります。

「早くも12月。1年の振り返りの時期である。今年はミュージシャンの訃報が多かった。敬称略で挙げれば高橋幸宏坂本龍一谷村新司・・・。」

続けて、

「享年に自分との距離感を確かめ、晩年の写真に、彼らの上にも歳月が経過したことを認め、過去映像の驚くばかりの解像度の低さに、時代を感じる。」

(中略)

「そう、訃報が妙にこたえるのは、その曲が流行していた頃の記憶をよびさまし、もの思いを引き起こすからだ。」

クリスマスイブの昨日、昔の職場の上司NさんからLINEでクリスマス動画が届きました。今年他界したミュージシャンに触れて返信を差し上げたところ、岸本さんが言及した3人に加え、Nさんは次々と歌手の名を挙げて思いの丈を送って寄越されました。大橋純子さん(1950年生)、もんたよしのりさん(1951年生)、KANさん(1962年生)・・・。「何度かライブを観たKANさんも私より一回り以上も若い61歳。」と書き添えてありました。

ミュージシャンの享年に自身の年齢を重ねた岸本葉子さんにNさんも共感したに違いありません。同時代を生きる人々のみならず、戦国武将をはじめ歴史上の人物の享年が妙に気になるようになったのは近年のことです。一方で、「人生100年時代」を迎え、シニアの年齢意識は驚くほど変化しています。実年齢と実感年齢の差は少なくとも5歳以上あるのではないでしょうか。特に女性にその傾向が強いようです。突然訪れるかも知れない死に敏感になっている自分は少数派なのかも知れません。

太宰治の代表作『津軽』本編(一 巡礼)にこうあります。太宰は、静かに忍び寄る死の影に書き続けることで抗っていたのでしょうか。

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ。」