夥しい熱量に圧倒されたコクーン歌舞伎『天日坊』(2022年公演)

2月4日夜、渋谷・シアターコクーン歌舞伎第十八弾『天日坊』(2022年2月1日〜26日)を観劇。昨年の『夏祭浪花鑑』はチケット手配済みだったにもかかわらず、政府緊急事態宣言発出にが災いしまさかの休演。今年も1月21日にまん延防止等重点措置が適用され(〜2月13日まで→3月6日まで延長)、一瞬肝を冷やしましたが、予定どおり開演されて胸を撫で下ろしました。コロナ禍が騒がれ始めたばかりの2020年3月、政府の自粛要請に応える形で、歌舞伎座宝塚歌劇団劇団四季が次々と公演中止を決めるなか、真っ先に「劇場閉鎖は演劇の死を意味しかねない」と強く抗議したのは野田秀樹でした。運良く10年ぶりの『天日坊』再演に立ち会い、野田秀樹のメッセージを思い起こしたところです。役者さんの稽古はもとより、伴奏音楽、舞台装置の製作、感染対策等々、舞台実現に向けた周到な準備を台無しにする劇場閉鎖はあってはならない暴挙でした。此の2年間、払戻された何枚もの劇場チケットを眺めながらしみじみそう思います。

舞台から注がれる夥しい熱量に始終圧倒されっ放しでした。歌舞伎座より遥かにコンパクトな総客席数747席の劇場空間に向かって役者の熱気が直に伝わってきます。客席と舞台の一体感がコクーン歌舞伎の醍醐味です。『天日坊』こそコクーン歌舞伎最高傑作という賛辞に偽りはありませんでした。主演中村勘九郎演じる孤児(みなしご)法策は本当の自分を見失い、次々と別人を騙るようになり、やがて源頼朝の御落胤天日坊と称して鎌倉をめざします。脇を固める七之助獅童はそれぞれ人丸お六、盗賊・地雷太郎を演じます。頼朝から詮議を命ぜられた側近大江廣元(中村扇雀・下男の久助と二役)と対面する三人のいでたちと台詞廻しは紛れもない歌舞伎の様式美。ラストは圧巻の大立廻り、ビッグバンドのジャズとツケ打ちに急かされるように勢いを増すそのスピード感たるや息つく暇なき展開。帰る場所を失った法策の苦悩と孤独を勘九郎がこれでもかと刀を振り回しながら熱演します。「俺は誰だ」と自らに問い尋ねる法策の姿は、孤独を抱え込んだおひとりさまの姿に重なります。寄る辺なき者の孤独や哀愁を代弁するかのように。幕間を挟んだ上演時間は約3時間、あっという間でした。興奮の坩堝を抜ければ万雷の拍手。カーテンコールが終わり静寂が訪れると、もう一度、観たいと願わずにはいられません。

河竹黙阿弥の原作「吾嬬下五十三駅」(隠れた名作だそうです)を下敷きに名手宮藤官九郎が脚本を手掛け、演出・美術を串田和美が担当しています。1994年5月、十八世中村勘三郎串田和美がタッグを組んでスタートしたコクーン歌舞伎は今や大輪の花を咲かせ、さらなる進化を遂げています。

前方幕外の左右にあるバンドスペースからは、トランペットを軸にギターやパーカッションの音色が鳴り響き、下座音楽とはひと味もふた味も違うダイナミックな生演奏を披露してくれます。舞台と共鳴するミュージシャンも紛うことなき役者でした。幕引き後、バンド演奏の残響が消えゆくまで名残を惜しんでから、席を立ちました。