三英傑のなかで誰が一番好きですか?

昨夜、NHK大河ドラマ『どうする家康』が最終回を迎えました。夢の中の光景でしょうか、家康と瀬名姫の視線の先に今日の平和そのものの東京の景色が広がっていたのがとても印象的でした。争いなき世の中の礎が出来たのは、紛れもなく家康の手柄です。戦乱の時代に終止符が打たれ、凡そ260年に及んだ徳川幕藩体制へと繋がっていくのですから。

三英傑で誰が一番好きですかと問われたら、豊臣秀吉と答えることにしています。普く統計を取れば、天下布武(実は天下泰平のこと)への足掛かりを築いた信長が断トツの1位ではないでしょうか。老醜を晒す前に本能寺で射たれ享年49で世を去っていますから、信長は日本人が大好きな悲劇の英雄に当て嵌まります。一方、徳川家康は「タヌキおやじ」と揶揄されるように狡猾な一面が強調されて、嫌われることが多いように思います。

豊臣秀吉推しの理由は多々あります。秀吉の出自には諸説あるようですが、百姓にせよ足軽にせよ身分卑しき出であることに違いはありません。苦労人でありながら、成り上がりを地で行く活躍をして戦国武将の頂点に上り詰めます。先ず、知略に長けた点を評価します。「中国大返し」に象徴されるように機を見るに敏であるが故に天下人になり得たのだと思います。最も評価すべきは、天下統一後の治世に欠かせない統治基盤を築いたことです。太閤検地によって石高(生産力)を正確に把握したことで、誤魔化しのない徴税が実現します。刀狩による兵農分離身分制度の確立に繋がりました。長期政権となった江戸幕府の盤石なる統治システムの基盤は、実は秀吉が整備したものなのです。戦さ上手の武闘派よりも石田三成のような事務方を重用し、政策通を側近に登用したところが秀吉の非凡なところです。

秀吉は人たらしだったと言われます。褒美を餌に家臣を巧みに働かせ天下人になったものの、辞世には『平家物語』に通じるような諸行無常が感じられます。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

欲しいものをすべて手に入れ欲望のかぎりを尽くしたとしても、振り返ってみれば、その人生はうたかたの夢のようなものだったのだと秀吉は言うのです。秀吉は、大河ドラマでは到底放送できないような数々の残虐行為を重ねています。そして、大層、色を好んだとも言われます。地位も名誉も手に入れたとき、歴史上の人物が往々にして陥る境地ではないでしょうか。戦国武将のなかで誰よりも人間くさく、毀誉褒貶相半ばするからこそ、秀吉を憎めないのです。