大河ドラマの劣化は「是非に及ばず」

NHK大河ドラマ「どうする家康」第28話は中盤のクライマックス「本能寺の変」でした。未視聴の数話を駆け足で観て、岡田准一演じる信長の最期や如何にとテレビにかじりつきました。

本能寺の変」と言えば、誰しも定番のセリフや炎上する本能寺で「敦盛」を舞う信長を思い浮かべるのではないでしょうか。ところが第28話では、明智光秀の「敵は本能寺にあり」や用意周到な明智光秀の謀反とあらば致し方なしと信長が最期に放ったとされる「是非に及ばず」が封印され、刀や槍で応戦する信長の胸中に寄り添うかの如、幼少期の信長の回想シーンが重ねられていきました。一方の松潤・家康は堺で会合衆と交遊する最中、お市の方(北川景子)と遭遇し、実父から「誰も信じるな」と厳命された信長が唯一心を許したのが家康だと悟ります。重臣らに誓ったはずの信長追討を、家康は光秀謀反の報を知る以前に早々と断念します。

半ば予定調和のシーンを敢えて封じ込め、明智光秀を脇役に追いやって、信長と家康のふたりの内なる葛藤に焦点を当てたのは斬新な演出だったと思います。この回に限っては概ね満足ゆく内容でした。視聴率は12.7%、NHKも胸を撫で下ろしたことでしょう。

さりながら、「どうする家康」は歴代大河ドラマのなかでもワーストランキング入り確実な失敗作に思えてなりません。ポップなタイトルロゴからして頂けません。武田双雲さんなど著名書家による力強い毛筆に比べ、大河に似つかわしくないのは一目瞭然です。タイトルどおり、どうにも頼りない家康像をこれでもかと見せつけられると、正直、白けるしかありません。血で血を洗う戦国武将の戦いは本来非情なるもの。ただでさえ重厚感を欠くキャスティングにあって、史実から大きく逸脱したおちゃらけた脚色ばかりが先行しては見る気も失せるというものです。その上、安っぽいCGがとどめを刺すかのようにリアリティを消失させます。いつまで三谷幸喜路線を踏襲するつもりなのでしょうか。

最近劇場で観たばかりのコミック実写版第3弾の『キングダム 運命の炎」の方が遥かに臨場感がありました。年を重ねる度に劣化する大河ドラマを前に視聴者は「是非に及ばず」とため息をつくしかありません。