NHK大河ドラマ「どうする家康」が佳境を迎えています。松本潤さん演じる家康が関白秀吉に頭を下げたあたりから、本来の大河らしくなってきたように感じています。第42回「天下分け目」で、伏見城留守居役を仰せつかった鳥居元忠(音尾琢真)が壮絶な最期を遂げました。涙なくして見られない回でした。
後世「三河武士の鑑」と讃えられることになる鳥居元忠が一党と共に討ち死にした「伏見城の戦い」(慶長5年・1600年)は、いわば「関ケ原の戦い」の前哨戦です。会津・上杉征伐に向かった家康の留守を狙って、宇喜多秀家ら率いる西軍4万人が伏見城に攻め寄せたのですから、手勢2000人余りの鳥居元忠一党はひとたまりもありません。上杉征伐に向かう家康に対して、元忠は「会津は強敵なのでひとりでも多くの兵を連れて行って下さい」と伝え、今生の別れを告げたと言います。討ち死にした者数知れず、伏見城はあえなく落城、自刃した者380余人と伝わります。
第42回の放送最後に紹介されたのは三十三間堂の東向かいにある養源院でしたが、他にも伏見城の遺構「血天井」は京都に数多く残されています。以前、「悟りの窓」・「迷いの窓」で知られる源光庵を訪れたとき、血で染まった足跡(写真・下)をはっきり確認しています。樹齢700年超の五葉松で有名な洛北の宝泉院にも「血天井」があります。額縁庭園「盤桓園(ばんかんえん)」を前にして優雅にお抹茶を頂いた後、お寺の方から身の毛もよだつような「血天井」の説明を受けたことを思い出します。床に突っ伏した武士の血染めの顔が天井板に張り付いているように見えました。
初代伏見城は大地震で2年足らずで崩壊、鳥居元忠が死力を尽くして守ろうとした二代目伏見城は落城後家康が復旧するも、大坂の陣を経て廃城になっています。史実としての「伏見城の戦い」を簡潔に伝えるだけなら、数行あれば十分です。今日までいくつもの京都の名刹が「血天井」を掲げ供養を続けているのは、「伏見城の戦い」が筆舌に尽くしがたい熾烈を極めた戦(いくさ)だったからです。伏見城の遺構の一部を天井板にしたのは何人も踏まないようにとの配慮からでしょう。「血天井」を仰ぎ見るときは姿勢を正して黙想するしかありません。