領土変遷に見るパレスチナの歴史

ハマスの大規模攻撃から1ヶ月、ガザの死者数は1万人を超えたと伝えられます。イスラエルによる報復攻撃によって子どもが4000人以上死亡しています。「停戦はない」と強調するイスラエル側。地中海東岸・パレスチナにおける民族間の紛争に収束の兆しは見えません。ユーラシア大陸と地続きでない島国・日本に住んでいると、国際情勢とりわけ中東やパレスチナの出来事が肌身に伝わらないというか、どこか他人事のように感じられることがあります。地政学的理解の欠如がその一因です。

戦後のパレスチナイスラエルの領土変遷(上の図)を見れば、今般の軍事衝突が如何に根深いものかがよく分かります。1948年のイスラエル建国時、ごく僅かだったイスラエルの領土は、1947年の国連分割決議や1948年~67年にかけての第1~3次中東戦争を経て、飛躍的に拡大しています。パレスチナ人にとって、戦後から今日まで70年を超える歳月は、自らの土地を奪われ続けた屈辱の歴史に他なりません。その間、イスラエルヨルダン川西岸地区に全長60kmに及ぶ聳え立つような分離壁を建設し、領土保全に余念がありません。自爆テロ防止のためだというイスラエルの公式の説明は、著しく説得力を欠いています。今回の紛争でイスラエルに封鎖されたガザの住民は、水や食料に窮し、電気をはじめ生活インフラを断たれた状況にあります。

第三次中東戦争ガザ地区を占領したイスラエルは、2005年に同地から撤退しています。そして、再び、ハマスを排除した後にガザ地区を直接統治しようとしています。イスラエルパレスチナの間に分け入って、和平へ向けた仲介機能を発揮できる国は米国一択に思えますが、イランをはじめ米国を敵視する勢力からすれば、決して望ましい仲介役ではありません。実際、戦闘中断を求める決議案こそ国連総会で採択(賛成120ヵ国・反対14ヵ国・棄権45ヵ国)されはしましたが、安保理では米・露・中の拒否権発動で否決される始末です。

ホロコーストへの反省と罪悪感から、欧州はパレスチナ問題となると常に及び腰で今回のイスラエルの人道に反する報復(暴挙)を止められないのだと言われます。ウクライナ侵攻に対するロシアへの対応とは実に対照的です。イスラエル批判(=パレスチナ擁護)をすれば、反ユダヤ・親テロリストのレッテルを貼られるかも知れないという危惧が付き纏います。ロシアを非難し続けている米国のイスラエル擁護の姿勢は、どう見てもダブルスタンダードです。いま再び噴出したパレスチナ問題が、深刻化する世界の分断を浮き彫りにしているのです。