映画『クーリエ:最高機密の運び屋』で知るキューバ危機の隠された真実

ロシアのウクライナ侵攻から半年が経ちます。8月3日時点でウクライナ東部のピンクで色分けされた地域にはロシア軍が進軍しており、事実上、ロシアの支配下にあるのではないでしょうか。西側諸国が一斉にロシアを非難する一方で、反米左派を標榜するベネズエラキューバはいち早くプーチン大統領の立場支持を表明しています。北大西洋条約機構NATO)によるロシア包囲網が急速に拡大するなか、プーチン大統領を支持する勢力が相当数存在するという厳然たる事実を再認識してかかるべきです。国連総会でロシア非難決議・ウクライナ人道支援決議等に反対票や棄権票を投じた国は世界総人口の半数を超えるとさえ言われています。国家間の利害関係は誠に複雑怪奇です。反米共闘で一致する習近平率いる中国やロシアに近いとされるインドはその代表格です。独裁者とされるプーチン大統領はロシア国内では依然高い支持を得ており、西側の論理が正義だと考えるのは残念乍ら早計なのです。

膠着状態を続けるウクライナ情勢が急転・悪化した場合、核保有国ロシアは実に不気味な存在です。映画『クーリエ:最高機密の運び屋』は、核戦争に発展しかねなかった「キューバ危機」を回避するために、一民間人が危険を顧みずソ連の内通者であるGRU(ソ連参謀本部情報総局)高官と5000件を超える機密情報受渡しを行ったという実話に基づいて制作されたものです。ビジネスの世界では”courier”とはFEDEXやDHLなどの国際宅配便を指しますが、映画ではサブタイトルにあるようにGRU大佐が密かに提供するソ連の最高機密の運び屋を意味します。

主人公は英国人セールスマンのグレヴィル・ウイン(ベネディクト・カンバーバッチ)。以前、取り上げた映画『1917 命をかけた伝令』では主人公スコフィールドから作戦中止伝令を受け取るデヴォンジャー連隊第2大隊の前線指揮官役でしたが、『クーリエ』では平凡なサラリーマンにして恐妻家の夫を演じています。フルシチョフの暴走を憂慮したオレグ・ペンコフスキー大佐(通称:アレックス)がモスクワを旅行中のアメリカ人学生に託したメッセージが米国大使館にもたらされ、米英の諜報機関が東欧と貿易取引を行うウィンに目をつけます。彼に与えられたミッションは販路拡大と称してモスクワ入りし、ペンコフスキー大佐から最高機密を受け取り、西側に持ち帰ること。

アレックスとウィンがランチテーブルを挟んで対面するシーンが前半のハイライトです。ふたりの次のような当意即妙の受け応えが一気に緊張を解きほぐします。この会話をきっかけに芽生えたふたりの絆が後半の導線になっています。

Now most important question.(では一番大切な質問だ)
If you want to do business in Moscow, I need to know.(モスクワでビジネスがしたいならどうしても知っておきたい)
Yes.(なんでしょう)
Can you hold your alcohol ?(酒は強いか)
It’s my one true gift.(唯一の取り柄です)

いい映画は吹替ではなく字幕スーパーで見るに限ります。アレックスは穏やかな口調で初対面のウィンに語りかけ乍ら、ウィンのスパイとしての適性や覚悟を見極めようとしているのです。英語に限らず、原語の会話に耳を澄ませた方がコミュニケーションに不可欠な微妙な間合いがより深く味わえるように思うのです。日本語吹替にした途端、鮮度が落ちてしまうように感じます。

後半、KGBがウィンの背信行為に気づき、決死の救出劇虚しくふたりは逮捕されてしまいます。ウィンの妻は夫の数々の不審な行動の背後にあった壮大な意図を悟ります。アレックス家族の亡命を画策した西側の試みは最悪の結末を迎え、それと引換えに<最も第三次世界大戦に近づいたと言われる13日間>は土壇場で米英ソが歩み寄って収束したのです。

ありふれた日常の有り難みを再認識し、戦争がもたらす惨禍への想像力を逞しくすることが、唯一、戦争を抑止することに繋がります。残念ながら一市民に出来ることは限られています。皆が皆ウィンにはなれませんが、ウィンやアレックスが命懸けで挑んだ戦いは未来永劫忘れてはなりません。現実のジェームズ・ボンドはウィンのような平凡な男なのかも知れません。