中学入試で出題される時事問題は相当手強い〜日本における難民申請を考える〜

日経夕刊(2022-4-5付)に、今年の中学入試で出題された時事問題が紹介されていました。新型コロナウイルスや地球環境問題は極めて身近な問題なので、小学生でも容易に正答を導けるように思いました。一方、これはかなり手強いぞと感じたのは外国人との共生をテーマにした問題。麻布中学と成蹊中学で出題された問題は大人でも相当手こずるのではないでしょうか、なぜ難しいと感じるのか?そうした問題は謂わば非日常の出来事(他人事)であって、よほど想像力を逞しく発揮しないかぎり、自らの問題として受け止めることが出来ないからです。

麻布中学】(外国人受け入れをめぐる経緯を読ませた上で)来日した外国人労働者と家族の人権を守るために必要な政策は?
【成蹊中学】(東京オリ・パラに出場した難民選手団を紹介した上で)日本で難民申請をしても、なかなか難民として認定されないのはなぜですか?」

こうした問題は、日頃から親子が家庭でとことん話し合う習慣でもつけていないかぎり、とても太刀打ちできそうにありません。付け焼き刃の暗記学習では歯が立たないということです。

グランディ国連難民高等弁務官は3月20日、ロシアの侵攻に伴うウクライナ国内外での避難民が1000万人を超えたとツイッターで明らかにしました。「避難民」と「難民」は同義ではありません。日本政府専用機ウクライナから入国した20人は、案の定、「避難民」であって「難民」ではありませんでした。たった20人?、これでも、政府・法務省は現行の枠組みのなかで精一杯対応したと自慢げです。四方を海に囲まれ、大陸の紛争が飛び火してきそうにない安全地帯にある日本は「難民」問題を常に後回しにしてきました。近年は「難民」受け容れの基準をさらに厳格化しているようです。

難民支援協会によれば、日本の「難民」認定率は0.5%(2020年)、人数にしてわずか47人です。ドイツの認定者数は63456人。比較するのもおこがましい日本の対応です。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、手引書「難民認定ハンドブック」や指針(ガイドライン)の発行を通じて基準を明らかにしており、欧米ではこうしたグローバルな基準が着実に浸透しています。

ところが、日本の認定基準はとてつもなく狭義で「個別把握論」と呼ばれ、外国政府が抑圧・監視の対象(標的)としているような要人でもない限り、申請は忽ち却下されてしまいます。おまけに、迫害から逃げてくる「難民」に客観的な疎明・立証を要求するのが日本の悪しき慣行です。不可能の証明(悪魔の証明)を強いているに等しいのです。さらに、困難な手続き上の問題が横たわっています。申請手続きに関する所管庁のHPを見ると、我々日本人でもうんざりするくらい長い書面(英文で12頁)が要求されています。おそらく、徹頭徹尾、書面審査主義なのでしょう。深刻な問題は、申請する側に十分な主張・立証機会が与えられていない点です。中立的な通訳者が不在だったり、不認定の場合に理由の開示がなされないなど、「難民」を厄介払いしたい政府の意向が見え見えです。厄介払いの行き着く先は強制送還。難民保護の礎石、「迫害の危険がある国へ難民を送還してはならない」とする所謂「ノン・ルフールマン<Non-refoulement>原則」が蔑ろにされている可能性すらあります。

つまるところ、大多数の日本人の目に触れないところで、出入国在留管理局が難民認定の実務を取り仕切り、「管理」することを最優先、「保護・扶助」は二の次になっているのが実状です。就労資格を得るために「難民」申請する外国人を排除することに重きをおくあまり本来の「難民」保護がなおざりになっているのが、残念ながら、日本政府の「難民」に対する向き合い方なのです。裁判然り、警察の取調べ然り、密室で行われる行政手続きは須らく可視化する方向へともっていかないと、国家権力の濫用は根絶やしにできないのではないでしょうか。