成蹊大学2017年後期公開講座のテーマはロシア


自宅から一番近い大学キャンパスは成蹊大学です。歩いて20分の距離です。週末、陽気に誘われてときどき散策するのですが、今朝の戸外の温度は17度。昨夜からすっかり冷え込んで少々出足が鈍りましたが、珈琲で身体を温めて10:30開講の公開講座<統一テーマロシア>第1回を受講しました。開講30分前にもかかわらず、すでに100名以上の受講生が着席していて驚きました。政治学者の故丸山眞男や数学者の藤原正彦が住む町ですから、生涯学習にも熱がこもるのでしょうか・・・地味なテーマなのに不思議でなりません。



今年は「ロシア革命」から100年目にあたります。全共闘世代(本講座講師も含む)は、極く一部のノンポリ層を除いてマルキシズムスターリン主義の洗礼を受けているわけで、名状し難い感懐を覚えているのではないでしょうか。その間、「ロシア革命」(旧暦では十月革命)から69年目にあたる1991年12月25日にソビエト連邦は崩壊してしまいます。この100年を振り返ると、遅れてきた青年世代の自分でさえ、隣国を襲ったその凄まじい政治的社会的変動に眼を瞠らざるを得ません。

じっくり100年を読み解いてみる必要があります。スターリンは冷酷無比の独裁者、レーニンは革命家であり思想家だとする理解が一般的ですが、赤軍の指導者レーニンもロシア内戦において、秘密警察チェーカーを組織し無辜の人々を大勢処刑し、不幸にも旱魃が起きると食料を強制的に徴発して800万人もの餓死者を出したと云われています。革命勃発後、数年間にです。ドミトリー・ヴォルコゴーノフは、ロシア内戦におけるボリシェヴィキの残虐行為を「帝政ロシア時代の悲劇すら色あせて見えるほどの非人間的行為」と非難しています。

『もういちど読む山川世界史』のなかで、このあたりがどう記述されているか確認してみると、<十一月革命に成功したあと、レーニンは新政権をひきい、血みどろの干渉戦争と内戦の危機をくぐりぬけ、社会主義の建設に着手した>とあります。教科書の歴史とはこの程度です。ただ、<ソ連邦が崩壊してレーニンの役割をめぐる評価も大きくゆれはじめている>と結んでいますから、「ロシア革命」の100年目の記念式典のあり方も気になります。

まず祝日が11/7から11/4に変更され「民族統一の日」とされています。現在のロシアでは、1917年の「大十月社会主義革命」の記念式典が1945年の「大祖国戦争勝利」に一本化されてしまっているそうです。レーニンに対する評価は、ロシア国家を救済しその一体性を守った点に尽きるのかも知れません。ロシア正教会との融和に努め左右を刺戟しないプーチン政権の姿勢は、確かにレーニンのそれと重なります。講師の富田さんによれば、「ロシア革命」が民族解放運動を大きく促進したことに加え、「後見的福祉」を実現したことが評価できるということでした。

ロシア革命」にはクーデター説やスムータ(大動乱)説もあるようですが、権力移行が大規模な政治的社会的変動を招いたわけですから革命と解すべきでしょう。フランス革命清教徒革命はあっても、日本史の教科書には「革命」という言葉は見当たりません。徳川幕府を滅亡させた明治維新戊辰戦争を伴う)や第二次大戦後の主権変更は明らかに「革命」でした。講義が終わって、講師に「革命」の定義について問い尋ねてみました。「革命」には権力移行に政治的経済的社会的変動が伴うということでしたが、やはり釈然としませんでした。ある程度、類型化が必要かも知れません。

漢語では「革命」の語源は、天命が改まるという意味(「命(天命)を革(あらた)める」)ですから、古代中国の易姓革命など王朝交代一般を指す言葉であったわけです。極めて穏やかな語源が、いつから暴力的コノテーションを有するようになったのか、興味は尽きません。参考文献のひとつ、岩波新書の『ロシア革命 破局の8か月』を手始めに読んでみることにしましょう。

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)

ロシア革命――破局の8か月 (岩波新書)