あさま山荘事件から50年|映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」(2007年)が突きつけた真実

あさま山荘事件から50年。連合赤軍メンバー5人が立て籠もった河合楽器の保養所あさま山荘軽井沢町)に警察機動隊が強行突入し、人質になっていた管理人の妻を無事救出したのは、事件発生から219時間後の1972年2月28日夕刻でした。テレビ中継された巨大な鉄球で建物を打ち壊す様子は今も脳裡に焼きついて離れません、ところが、死者3名(機動隊員2名・民間人1名)・重軽傷者27名を出して世間の目を釘付けにしたあさま山荘事件は始まりの終わりに過ぎませんでした。逮捕された連合赤軍派リーダー森恒夫や革命戦士を名乗るメンバーが次々と供述したことで驚愕の事実が明らかになりました。巷間、山岳ベース事件と呼ばれ、群馬県の山中に築いたアジトで同志によってメンバー12名が無惨に殺害されていたのです。メンバー29名のうち半数弱が犠牲者になったのです。

連合赤軍による一連の事件が学生運動を衰退させる契機になったとよく言われます。この半世紀、平成のオウム真理教事件と重ね合わせて、社会から隔絶された集団による異常な犯罪だの、目的のために手段を択ばない行動だのと決めつける論調が支配的です。これでは、事件を狂気の沙汰と切り捨てて思考停止しているに過ぎません。

50年の節目、日経新聞(2022-2-7付朝刊)は「学生時代は合唱団、傾倒した<普通の若者>」と小見出しをつけ、今なお獄中にある吉野雅邦(73)や山中で死亡した内縁の妻金子みちよさん(享年23)、出所した植垣康博(73)の3人が合唱団に属していたと報じています。ノンポリよろしく、活動に身を投じる前は普通の若者だったと十把一絡に扱っていますが、活動前から3人とも意識の高い学生だったに違いありません。

2月24日に放送されたNHKクローズアップ現代+「50年目の”独白”あさま山荘事件・元連合赤軍幹部の償い」を見て、吉野受刑者(無期懲役)が革命にのめり込んでいった背景を知ることが出来ました。事件当時、父親は財閥系上場会社の役員で一見恵まれた家庭に映りますが、吉野受刑者の兄は生まれたときから脳に障害を抱え知的障害者向けの施設に入所してそうです。毎週のように施設に通っていた吉野受刑者が自分だけ健常で何不自由ない生活を送っていることに疑問を呈したのは、鋭い感受性の発露に思えます。折しも、世界中でベトナム戦争への反戦機運が高まり、社会主義革命思想に傾倒しデモに身を投じていくことがそれほど異常な行動なのでしょうか。社会や政治と真摯に向き合う若者の多くが強権を発動する権力に対して異議申し立てを行う姿は、政治的意思表明や示威行動と無縁の大多数の現代の若者とは実に対照的です。純粋な理想主義がどこで変質し、あってはならない多くの過ちを犯すことになったのか、何処で彼らは間違えたのか、その点を今を生きる我々が一顧だにせず唯々断罪することは、事件を風化させ、彼らの生きた証を蔑ろにすることに他なりません。

今から14年前、テアトル新宿で故・若松考二監督の魂の叫びともいえる映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(2008年3月公開)を見たとき、過去に経験したことがないほど心を揺さぶられ震撼しました。正視し難い「総括」という名の集団暴力殺人シーンから何度も目をそらしそうになりましたが、ひたすら堪えて見続けました。さながら掘っ立て小屋のような急ごしらえの山中の建物に29人ものメンバーが詰め込まれ、夜は氷点下の世界。風呂はなく着た切り雀のプライバシーなき過酷な生活が延々と続くなか、社会から隔絶された空間で正常な思考回路が働こうはずもありません。若松監督は初日舞台挨拶で「原田眞人監督の『突入せよ!あさま山荘事件』を見た。体制側から描いたあの作品では連合赤軍に参加した学生たちの心情がまったく描かれてなかった。腹が立ってどうしようもなかった。なぜ彼らがあの行動に至ったのか、その時代背景はどうだったのか、そこを今の時代に伝えたかった」と話したそうです。以前、佐々淳行の原作『突入せよ!あさま山荘事件』(文春文庫)を読み映画も見ましたが、まったく同感です。

映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」のプログラムを読み返すと、若松監督が映画に託した熱い思いを受け止めた田原総一朗がこんな文章を寄せていました。「(前略)目をそむけたい映画がこれでもかこれでもか、と三時間十分続く。若松に屈してはならないと両手を膝の上で握りしめながらやっと見終えた。しんどいが目をそらしてはならない映画である。」

映画のラストで16歳の少年が「俺たち、みんな勇気がなかったんだよ・・・」と叫びます。この悲痛な叫びは、対峙するはずの権力ではなく内なる自分や生き残った同志たちに向けられたものでした。闘争心に火がついたとき彼らにあったはずの希望の灯はいつかき消されてしまったのでしょうか。

あさま山荘事件から50年、ここ数日、ずっと事件のことが頭を離れません。もう一度見る勇気がなかったのですが、今一度、直視すべきは映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」なのだと自分に言い聞かせているところです。