シネマレビュー「八甲田山」(1977年公開)

昨年、「八甲田山」の<4Kデジタルリマスター版>が制作されたと知り、またこの名作を見たくなくって、家族も寝静まった深夜に録画を再生することに。まだまだ高価な4Kテレビは我が家にはありませんので、残念ながら、撮影監督木村大作さんが言う鮮やかに蘇ったという画像は拝めませんでしたが・・・・

これで本映画を見るのは三度目、「天は我々を見放した」という北大路欣也のセリフで有名なクライマックスは脳裡に焼きついているのですが、肝心のキャストの記憶は頗る頼りなくて、村山伍長役の緒形拳や若き日の秋吉久美子が案内役で登場することは、すっかり忘却の彼方でした。それにしても、士官クラスのキャストは小林桂樹三國連太郎加山雄三高倉健北大路欣也錚々たる顔ぶれでした。のみならず、映画タイトルも原作と同じ「八甲田山死の彷徨」だとばっかり記憶していたので、内心不明を恥じるばかりでした。八甲田山雪中行軍遭難事件が起きたのは1902(明治35)年1月のことでした。

昨年、この大遭難事件について『八甲田山 消された真実』(伊藤薫著/山と渓谷社)という本が上梓され話題になりました。神田大尉率いる青森歩兵第五連隊は210名中199名が死亡、一方、徳島大尉率いる弘前歩兵第三十一連隊は下士官中心の37名(+1名の新聞記者)という少数精鋭で臨み、全員生還。これほど対照的な雪中行軍の顛末ともなれば、小説家ならずとも創作意欲をそそられるはずです。山岳小説の第一人者新田次郎の手腕ですべてがまことしやかに見えますが、実際は史実に反する記述も多いと同書は指摘します。最後の生き残り小原元伍長の2時間余りの録音を入手した著者はその乖離に驚きを禁じ得なかったといいます。

未曾有の山岳遭難事故の真実を隠蔽するために、当時の第五連隊の事故報告書は著しく歪曲されたものだったのです。以下、人名は実名です。雪中行軍の発案者は陸軍参謀ではなく、第三十一連隊の福島大尉。対抗心を燃やして急遽、雪中行軍を命令したのは津川第五連隊長でした。当時、全国各地を襲った猛烈な寒波がごく短期間(一説には三週間程度)の準備期間しか与えられなかった神成大尉を窮地に追い込んだのはむべもありません。小説や映画では、両連隊とも相当な準備期間を与えられたことになっていますが、創作でした(小説には罪はなく報告書に捏造があったと理解しています)。驚いたのは、責任を負うべき津川連隊長がその後少将に昇進し、寡黙で沈着冷静な福島大尉は実は功名心の強い男で、道案内人を奴隷のように扱っていたことも明らかにされました。第三十一連隊の成功は決して美談ではなかったわけです。救出されピストル自殺したとされる山口少佐の暴走も一因でしたが、神成大尉の盲従ぶりが事態の悪化に拍車をかけたようです。

小説や映画が史上稀に見る山岳遭難を世に広く知らしめた功績は大だとしても、ドラマティックな小説や映像の背後に隠された真相にも目を向けないと遭難した将兵やご遺族は浮かばれません。最大の疑問は、のちの日露戦争において、八甲田山遭難事件の教訓が本当に生かされたのかどうかです。映画で見る貧弱な装備が、その後の寒地研究・訓練の成果を基に、見違えるような本格的装備に生まれ変わったとはとても思えないからです。

八甲田山 消された真実

八甲田山 消された真実

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)