現代史の記録者としてのクリント・イーストウッド監督に脱帽!

<名優必ずしも名監督にあらず>という俗諺を完膚なきまでに粉砕してくれる映画監督のひとりがクリント・イーストウッド監督ではないでしょうか。天は二物を与えずといいますが、今年88歳を迎える監督のマルチタレントには些かの綻びも見えません。最新作「15時17分、パリ行き」も期待を裏切らない出来栄えで、2015年8月21日(金)、フランス国民を震撼させたという列車テロ事件の真相がヴィヴィッドに伝わってきました。

この映画にはタイトルになった"THE 15:17 TO PARIS"という原作があって、ハヤカワノンフィクション文庫からロードショーに先行して翻訳が出版されていました。読みたい気持ちを封印して封切直後に映画を観てから、原作を読んでみることにしました。

イーストウッド監督はたまたま列車に同乗した3人の若者の生い立ちに触れながら、運命の日を迎えることになった彼らがとった行動を過去のエピソードとシンクロさせて映像化していきます。エンドルールに小さな文字で書かれているとおり、実際に起こった出来事をドラマテックに仕上げるため少なからず脚色が加わっているようです。ところが、観客には虚実の区別は判然としません。

実際に乗り合わせた3人の若者(アメリカ人)が主人公として出演しただけではなく、ほかの乗客も多数撮影に協力したそうです。しかも、同じ時刻にアムスを発つ高速列車タリスでロケを行ったそうですから、事件を忠実に再現したような印象を与えるのは当然です。危機を救った若者3人をキャスティングするという前例のない賭けに挑んだ監督の期待に応えて、プロ以上の演技を見せてくれた彼らにも脱帽です。

7年ぶりの三人の再会、愉快な夜を過ごしたアムステルダムで週末を過ごすプランも浮上し、当時、大方の旅行者から不人気のパリへと足を向けるモチベーションはみるみるしぼんでいきます。原作(233-234頁)を読むと、なぜ三人が再び翻意して当初スケジュールに従ってパリへ向かうことになったのか、知る手がかりを見つけられます。もはや、神の啓示としかいいようがありません。

金曜日に彼らが高速列車タリス9364号に乗車しなかったら、乗客554名の生命は風前の灯だったに違いありません。2015年1月、<シャルリー・エプド>を複数のテロ犯が襲撃、同年11月にはパリ同時多発テロが発生し、死傷者は400名を超えました。「きみらが私たちの9.11を止めたんだ」というフランス国民の短い賛辞ほど、三人の勇気を讃えるにふさわしい言葉は見当たりません。

原作巻頭にフランスの文学者テオフィル・ゴーティエ箴言が引用されています。

<偶然とは神が実名でサインしたくないときの別名かもしれない>

わずか94分の上映時間のなかで、イーストウッド監督が410頁ある原作邦訳から何を取捨選択したか、振り返ってみるのも映画のもうひとつの愉しみかも知れません。そして、映画では触れられていないモロッコ人テロリストのアイユーブが犯行に手を染める経緯にも、原作は言及しています。日常と隣り合わせのテロリズム、もし遭遇したらどう立ち向かうのか、観客ひとりひとりが考える契機を与えてくれる出色の映画でした。


15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)