「親ガチャ」の当たりは十人十色~裕福な家庭に生まれることが当たりとは限らない~

最近、全国紙にも頻繁に登場するようになった「親ガチャ」という若者言葉、。中高年には耳慣れないこの言葉、ご存じない方のために含意を解説しておきたいと思います。カプセル入りの「ガチャ」から何が飛び出すか分からないように、<どんな親の元から生まれてくるかによって、その子の人生は(半ば)決まってしまう>という意味合いでどうやら若者が使っているようなのです。メディアが注目するきっかけを作ったのは、社会学者・土井隆義氏の著書「『宿命』を生きる若者たち」(岩波ブックレット・2019年6月刊)なのだそうです。言葉の鮮度は一向に落ちないどころか、どんどん拡散して若い信者を増やしているような気がします。橘玲氏の最新刊『無理ゲー社会』(小学館新書)は、現代社会における社会的・経済的成功は「遺伝的宝くじ(遺伝ガチャ)」に当たった幸運な者が独占し、外れた者は成功から排除されるという遺伝的決定論に基づくリベラリズムが台頭していると指摘しています。「遺伝ガチャ」は「親ガチャ」と同義ですから、外れてしまった者にとって、社会的・経済的成功はもとより攻略不可能な「無理ゲー」だということになってしまいます。

かつては「親の七光」という言葉で表現されていたようにも思いますが、「親ガチャ」が使われる文脈は決定的に違います。昭和世代に馴染み深い「親の七光」、即ち生まれながらに恵まれた者が社会的・経済的に成功している場合、揶揄や嘲笑の対象となっても、決して肯定的に受け止められてはきませんでした。「氏より育ち」は今も強烈なカウンターテーゼ足りうるはずです。ところが、「親ガチャ」は、努力では決して乗り越えられない壁があると決めつけてかかるだけになかなかに厄介です。特に若年層に対して、努力や挑戦の虚しさを増幅する作用があるだけに、極めて深刻な社会的影響をもたらすと考えられています。土井氏によれば、「親ガチャ」の特徴的な点は「獲得属性」よりも「生得属性」に遥かに傾斜して目が向けられているということになります。

では、「親ガチャ」に外れた若年層は不幸せかというとそうでもなくて、<現状を変革しないで受け容れる方が楽に暮らせる>と却って人生満足度は向上しているようなのです。思わぬ宿命論の効用です。

寧ろ、注目したいのは「親ガチャ」の中身です。生まれた家庭の経済的な裕福さを尺度に当たり・外れを論じる傾向が強いことに違和感を覚えてしまいます。親からの遺伝的影響が最も色濃く反映されるのは身長や容姿ではないでしょうか。トリーチャーコリンズ症候群のような遺伝的疾病に至っては、本人の努力どころか現代医学を以てしてもどうにもなりません。体質的に太りやすい女性はどうすればいいのでしょうか。中年を過ぎた男性なら気になる頭髪のボリュームも遺伝的影響が強いと思われます。一生懸命働くことでお金は何とかなっても、どうにもならない差異は無数に存在します。出生に係るpros and consは人それぞれで、相互にトレードオフもあります。誰しも多かれ少なかれそうした差異を受け容れて生きているはずです。貧乏な家庭に生まれてたとしても。イケメンに生まれた人は羨むべき存在だったりします。そうした違い(差異)を社会が多様な個性として寛大に受け容れ、決して差別しないことが重要なのだと思っています。

思えば、大学卒業後、転職の末、都内郊外(山手線外側)に住み始めた頃、都心に生まれ育った実家通勤の人々が羨ましくてなりませんでした。言うなれば「出生地ガチャ」です。首都東京の居住コストは地方とは比較にならないほど高いので、仮に同じ給料で働いていたとしても、手元に残るお金は雲泥の差となって現れます。一方、東京でマンションなり戸建てを手に入れようとすれば、猛烈に働いたり、節約に励み欲しいモノを辛抱したりと、「出生地ガチャ」当選者が凡そ持ち合わせないモチベーションをキープすることになります。環境決定論に抗って好転する人生も大いにあり得ます。自分は明らかに「出生地ガチャ」に外れましたが、都内で一国一城の主になるくらいのささやかな夢は叶えました。

そんな訳でどうしても出生の運・不運論に与することはできません。"Chance" "Challenge" "Change" は若者の特権ではないでしょうか。 今の若年層を覆う退嬰的な空気は一害あって百利なしだと断言します。自らの経験に照らして、努力や挑戦が少しでも報われる持続可能な社会を育むことこそ、何より肝要だと思うのです。”Boys (and girls) be ambitious !”