大人が読みたい絵本『メメンとモリ』

ヨシタケシンスケさんの初の長編絵本を買おうと近所の啓文堂を訪れました。子どもはとうの昔に成人していますから、絵本コーナーに立ち寄るのは数十年ぶりかも。人気絵本作家のはずなのに、絵本コーナーにお目当ての『メメンとモリ』が見当たりません。しばらく店内をウロウロしていたら、レジに向かう通路の一角に「ヨシタケシンスケ」コーナーを発見。カラフルなポップの下には、新刊「メメンとモリ」をはじめ、代表作が平積みされていました。子どものみならず大人も巻き込んだ一大ブームが湧き起こっている証左です。

メメントモリ」かと思いきや、絵本のタイトルは「メメンとモリ」、主人公のメメンとモリは仲良しの姉弟です。「だって、わたしたちだって、ずーっとここにいるわけじゃないでしょ。いつかはおとなになって、おとしよりになって、そしていつかは、天国へいく」と書かれた見開きページには、山々と遥か彼方に天に通じるハシゴが描かれています。「メメントモリ」が死を想えというラテン語だと知らなくても、この絵本が何気ない日常にそれを知って生かせるような出来事が連なっていることを教えてくれます。最初の「メメンとモリとちいさいおさら」は、躓いてモリが割ってしまった大切なお皿をめぐるお話です。モノには命はありませんが、身近な死に例えられなくもありません。大人は「形あるものは壊れる」ことを知っていますが、いざ大切なモノが壊れてしまうとメメンのように冷静でいられないものです。作者・ヨシタケシンスケさんは、身の回りの出来事を次々と短い言葉にして、手書きで絵本に託していきます。つまるところ、作者自身が「人は何のために生きているのか」と自問自答しているのです。


『メメンとモリ』発売記念特設サイト(KADOKAWA)より

3つのお話で構成された長編絵本『メメンとモリ』に大人が共感してしまうのは、作者が読者の分身(オルタエゴ)になっているからです。その背後にあるのは、子どもの頃、誰もが多かれ少なかれ持っていたはずの素朴な疑問や純粋無垢な感性です。ページ表記がないので、どのページから開いても、自然体でヨシタケシンスケ・ワールドに没入できてしまいます。


『メメンとモリ』発売記念特設サイト(KADOKAWA)より


< おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。) >(内藤濯訳)

ヨシタケシンスケさんの絵本を読むと、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の一節を思い出さずにはいられません。ヨシタケシンスケさんは、子どもだったことを忘れずにいる数少ない大人だからです。