朝ドラ「らんまん」完結に寄せて~脇役陣が光った群像劇~

牧野富太郎の生涯を描いたNHK連続テレビ小説「らんまん」が完結しました。最終回のハイライトは、体調が思わしくない妻・寿恵子(浜辺美波)に夫・万太郎(神木隆之介)がようやく完成に漕ぎつけた植物図鑑を万感の思いを込めて差し出すシーンでした。3206種の植物が掲載された分厚い図鑑の最終頁には、万太郎が仙台で見つけた新種「スエコザサ」が掲載されています。大家族を抱え懸命に家計を切り盛りする寿恵子あっての万太郎です。植物にのめり込むあまり、終生、道楽息子のような万太郎でしたが、妻に心から労いの言葉をかけて念願の植物図鑑をプレゼントするその姿は最高に格好良かったと思います。謝辞にはお世話になった方々の名前と共に妻や子どもたちの名前が刻まれていました。万太郎は、田邉との確執のきっかけを作った論文への謝辞洩れの失敗からしっかりと学んでいたのですね。こうした粋な演出が冴えて、ドラマタイトル「らんまん」を見事に回収し記憶に残る涙々の最終回になりました。近年の朝ドラではピカイチだと思っています。

最終回のひとつ前の回も感動的でした。寿恵子のために植物図鑑完成を急ぐ万太郎の元に盟友が次々と駆けつけ、図鑑の校正にはじまり索引づくりや植物の作画まで手伝うのです。植物学教室の同僚・波多野や藤丸をはじめ、名教館時代の学友・広瀬佑一郎(中村蒼)や画工の野宮朔太郎(亀田佳明)に「十徳長屋」の文学青年・堀井丈之助(山脇辰哉)が加わります。波多野は学士院会員、広瀬は工科大学教授となり、万太郎を取り巻く脇役が地歩を固めて物語は大団円を迎えます。マイペースな堀井がシェイクスピア全集を携えて訪れただけなのに、図鑑作りに巻き込まれ、深夜の戯言と切り出して、万太郎に倣ってか演劇博物館を作りたいと言いだします。堀井のモデルは坪内逍遥だと睨んでいましたが、「十徳長屋」畏るべしです。「らんまん」の主人公・万太郎を支えた峰屋を含む大家族や友人、ご近所さん、大学の先生方、一人ひとりの人物造形が傑出していて、大河ドラマを彷彿させる群像劇の魅力を堪能させてくれました。アカデミズムの権威を象徴する田邉教授や後任徳永教授と万太郎が対立する場面は、当時の時代状況を浮き彫りにしてみせました。一見、ヒールに映った田邉・徳永教授も万太郎とは違ったアプローチで、あらゆる面で欧米に劣後する日本をどうにかして一等国にしようと格闘していたのです。国費留学した自覚から、政府の方針に従順な彼らが時折り垣間見せる学問への純粋な探求心は本物でした。晩年、波多野と徳永教授が万太郎に博士号取得を迫るシーンはその象徴です。万太郎を知る者が万太郎の植物学者としての真価を認めていたとしても、小学校中退の万太郎に博士号を与えない日本を世界は決して認めません。箔が付いて図鑑が売れると側面支援しようとした寿恵子の力強い言葉が、アカデミズムに背を向けて来た万太郎を後押しします。商売上手な寿恵子が放った決め台詞は次のとおりです。

「勘違いしています。図鑑を成し遂げてから?そんなの遅いですよ。先に理学博士になったら、売れるじゃないですか。理学博士が、満を持して植物図鑑を出すとなったら、売れに売れて、売り切れ御免の、大増刷ですよ」

最終回まで、万太郎を凌ぐ熱演だったのは器量よしの浜辺美波さん演じる寿恵子。その器の大きさは、年を重ねるに従って増幅していきます。渋谷で家族と別居しながら独力で待合を営み、お金をどうにか工面して大泉に自宅用地を購入し万太郎に広い庭付きの自宅を拵えてしまう寿恵子の良妻賢母ぶりが、終始物語を支えたバックボーンでした。牧野富太郎の年譜によると、1926(大正15)年12月に大泉に引っ越し、2年後の1928(昭和3)年2月23日に寿衛子夫人が病歿(享年55)しています。

牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)から「亡き妻を想う」の一部を引用して、「らんまん」完結に寄せた一文を締めくくります。実際のところ、牧野博士は妻の夢に寄り添いながら、果たせなかったことを嘆いておられます。

「どうしても絶対に火事の危険性のないところというので、この東大泉の田舎の雑木林のまん中に小さな一軒家を建ててわれわれの永遠の棲家としたのです。そうしてゆくゆくの将来は、きっとこの家の標本館を中心に東大泉に一つの植物園を拵えて見せよう、というのが妻の理想で私も大いに張り切り、いよいよ植物採集に熱中したのですが、これもとうとう妻の果敢ない夢となってしまいました。この家が出来て喜ぶ間もなく、すなわち昭和三年に妻はとうとう病気で大学の青山外科でなくなってしまったからです。享年五十五でした。妻の墓はいま下谷谷中の天王寺墓地にあり、その墓碑の表面には私の詠んだ句が二つ亡妻への長しなえの感謝として深く刻んであります。」

家守りし妻の恵みやわが学び

世の中のあらん限りやスエコ笹