豊後富士こと由布岳登頂の翌日、九州本土最高峰・「くじゅう連山」(最高標高:1791m)をめざして早朝4時半に出発、登山口のある牧ノ戸峠(1330m:やまなみハイウェイの最高地点)へ向かいました。由布岳山麓の宿から登山口までクルマで約1時間。曇りのち雨の天気予報を恨めしく思いながら、登山口駐車場にレンタカーを滑り込ませると、すでに何組かの登山者らがストレッチをしていました。ここで駐車場が確保できなければ、その日のスケジュールを大幅に見直さなければならないところでした。前日の由布岳然り、ミヤマキリシマ(命名者:牧野富太郎博士)が最盛期を迎えるこの時期、登山口に隣接する駐車場はどこも争奪戦なのです。
「くじゅう連山」には、「九重山」や「久住山」といった異なった表記があります。深田久弥の『日本百名山(新装版)』には「九重山」(1788m)とあります。深田久弥はこうした山名をめぐる地域の争いについて詳しく言及しています。Wikiには「九重山」は大分県玖珠郡九重町と竹田市久住町の境界に位置する山々の総称(地質学上の呼称)にして、最高峰は九州本土最高峰でもある中岳 (標高1,791m)とあります。さらにややこしいのは、牧ノ戸峠のある九重町を「ここのえまち」と読ませることです。長者原ビジターセンターHPの説明が一番腑に落ちたので、「くじゅう連山」の標高一覧と共に掲載しておきます。
「くじゅう連山」は、九州本土最高峰の中岳をはじめとする久住山、大船山など1700m級の山々が連なり、「九州の屋根」とも呼ばれています。 くじゅう地域は、大分県に位置します。 「くじゅう連山」はくじゅう地域の山々の総称であり、「久住山」は「くじゅう連山」の山のひとつです。 一帯は「阿蘇くじゅう国立公園」に含まれています。
ホッと一息ついて登山の準備に取り掛かったとき、海援隊の歌詞♫ <思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど 思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら>がふと頭に浮かんできました。東京から大分まで直線距離にして800km弱、飛行機とレンタカーを乗り継いでやって来た九州は思ったよりずっと遠いエリアでした。「やまなみハイウェイ」が開通していなければ「くじゅう連山」への道程は鉄道に頼るしかなく、さらに遠い存在だったことでしょう。今回の山行は、大分県別府市の九州横断道路入口から熊本県の一の宮を結ぶ全長58kmの「やまなみハイウェイ」のお蔭なのです。
低くどんよりと垂れ込める雨雲を見上げ空模様を確認したら、登山スタートです。コース案内どおり、コンクリート舗装された序盤の急坂で息が上がります。雨が降り出す前に先を急ぐことにしました。曇天で思ったほど気温が上がらず、ベースレイヤーに半袖1枚の薄着では次第に身体が冷え込んできました。西千里ヶ浜の中間地点から一気に「星生山(ほっしょうさん)」の稜線に出たところで、ザックに忍ばせておいたユニクロ製「ウルトラライトダウン」を着用することに。初めて登山で使用しましたが、「くじゅう連山」クラスの山であれば、保温効果の点で十分なスペックだと感じました。値段が手頃な上に228gと軽量ですから軽登山の装備品としてカウントできそうです。「星生山」から星生崎までの尾根歩きは、眺望に優れ、牧ノ戸峠~久住山往復コースのハイライトではないでしょうか。
星生崎基部からガレ場を下れば久住山避難小屋(トイレ併設)です。10分程度のトイレ休憩を挟んで、久住分れから岩場を超えると「くじゅう連山」主峰「久住山」山頂に到着です。山頂でスマホ撮影をお願いした青年も東京からの登山者でした。長崎市出身にもかかわらず一度も「くじゅう連山」の盟主・久住山に登ったことがなかったので遥々やって来たのだそうです。北へ視線を向けると、雲海の先から(前日登頂したばかりの)双耳峰・由布岳が尖ったてっぺんを見せてくれました。iPhone 11 Proの望遠カメラを使って撮影したのが次の写真です。
↑ 中岳中腹から火口湖・御池(みいけ)と久住山を望む
ここまで来たら「くじゅう連山」最高峰・中岳をめざすしかありません。御池(みいけ)南側を経由して中岳(1791m)まで一気に攻めました。中岳山頂に着くと雨脚が強まり、とうとう雨具の出番です。山頂にいたグループはいつの間にか姿を消し、久住山避難小屋まで戻ると、複数のグループ登山者が下山を始めていました。西千里ヶ浜まで戻ってくると、雨天にもかかわらず、真新しい登山ウェアに身を包んだグループ登山者と何組もすれ違いました。ハイシーズンの「くじゅう連山」の人気ぶりを見せつけられた格好です。下山を急いだせいで、11時過ぎに登山口に戻ってこれました。今回は、時間的制約から「くじゅう連山」の一角を歩いたに過ぎません。次は、長者原登山口からスタートして、坊ガツル湿原を経由して法華院温泉山荘に宿泊、「三俣山」・「平治岳(ひいじだけ)」・「大船山(たいせんざん)」に登ろうと早くも意気込んでいるところです。
★漂泊の詩人・種田山頭火の代表作のひとつ「分け入っても分け入っても青い山」は、熊本の馬見原から高千穂の三田井への道中に詠まれたものです。このあたりは「九州の背骨(脊梁)」と呼ばれ、九州中央山地(国定公園)に含まれます。