日本建築学会賞を受賞した「住宅遺産トラスト」とはどんな活動をする団体なのか?

キラリと光る人物を紹介する朝日新聞の連載「ひと」欄に注目しています。人物紹介と聞くと有名人を想像しがちですが、この連載の強みは知られざる有為の人物を発掘してくる点にあります。今月であれば、高知県須崎市ゆるキャラ「しんじょう君」を日本一に導きふるさと納税を200万円から21億円に増やした地方公務員や、楽器と義手を融合させたギターや管楽器の製作者など、スポットライトが当たりにくい分野で活躍されている方を取り上げています。

6月23日付け「ひと」欄は「住宅遺産トラスト」の専任・事務局長を務める吉見千晶さんを取り上げました。記事を読んで、初めて「住宅遺産トラスト」なる団体の存在を知りました。具体的にどんな活動をしているのか気になってHPを確認すると、設立趣旨が次のように紹介されていました。

★様々な事情により、貴重な住宅建築がひっそりとその姿を消しつつあります。どんなに優れた建築であっても、個人の所有である点で住宅の継承はきわめて難しいテーマです。優れた住宅を失うことは、貴重な技術や空間を失うにとどまらず、そこで育まれ続けられてきた住まい方、地域の記憶景観を失うことでもあるでしょう。私たちは、こうした価値ある住宅建築とその環境を「住宅遺産」と呼びます。「住宅遺産」を愛し、その継承に関心を寄せる多くの方々とともに、これを後世に継承するための仕組み作りを目指して、「一般社団法人住宅遺産トラスト」を設立いたしました。

世界的ピアニストだった故・園田高弘邸が実業家に継承されたことをきっかけに、これまで14軒の新しいオーナーへの継承が実現したのだそうです。その多くは有名建築家が設計したもので、芸術的文化的価値ある住宅の継承が優先されている印象です。日本建築学会賞(2022年・「業績」)を受賞したのは、個人住宅に着眼した点が評価されたのでしょう。大変有意義な活動だと思いつつ、内心、アンビバレンツな感情を抱いています。極論すれば、老朽化した住宅を後世に伝えていくことの限界を再認識し、デジタル映像を残すなど別の手段で代替すべきだと考えています。

かつて、住宅用地を探していた時期、日本モダニズム建築の旗手と呼ばれた建築家・前川國男が設計した私邸(目黒区・駒場東大前)が売りに出されていたので、現地を見に行ったことがあります。恐らく、売主はル・コルビュジエの弟子であった著名建築家・前川國男に依頼して注文住宅を作ったのでしょう。「江戸東京たてもの園」(小金井市)に現存する前川國男自邸を彷彿させる外観だった記憶があります。売主にしてみれば、思い入れのある自宅を志を同じくする誰かに継承して欲しかったのでしょう。ところが、どんな有名建築家の建てた家であれ、築20年以上超の木造住宅など住めたものではありません。間取り、水回り、気密性・・・どこを切り取っても現代の暮しに不便な点ばかりですから、大規模なリノベーションありきということになります。大規模なリノベーションと新築を天秤にかけた場合、コストや住み心地の点で、間違いなく後者に軍配が上がるはずです。結局、この住宅は取り壊され、更地で売却されてしまいました。

古きよき英国の田園景色が広がるコッツウォルズには築100年以上の古民家がたくさん存在します。しかも、英国では古い家ほど価値があると看做され高値で取引されています。躯体が劣化しにくい煉瓦や石で造られているからです。住人は、古い家の歴史に敬意を払いながら、ライフスタイルにあった家をめざしてリノベーションを重ねていくのです。英国の住宅は、あくまで住み続けるところに価値を見出すので、古くなっても「住宅遺産」にはなりません。よほど特別な理由でもないかぎり、人の息遣いが消えた住宅には価値はないと自分は思うのです。寧ろ、地震の多い日本ではスクラップ&ビルドの住宅の方が理に叶っています。住まいへの意識が違うのは風土の違いと割り切った方が良さそうです。日本の木造住宅の法定耐用年数は22年。RC造りでも47年です。ハウスメーカーの典型的な建売住宅が安普請になるのも謂わば当然です。

そもそも、木造住宅の保存に多額の費用を投じるのは著しく経済合理性に反しています。2022年度の国のプライマリーバランスは13兆円の赤字。財政難に苦しむ国や地方自治体には文化財保護を名目に木造住宅の維持・保存に税金を投入する余裕などないのです。現実的な解決策は、企業経営に成功し巨額の富を蓄えた超・富裕層に資金を拠出してもらうことです。米国で盛んな富裕層による寄付やクラウドファンディングを利用する手もあります。「南禅寺界隈別荘群」と呼ばれる京都・南禅寺エリアの大庭園付き邸宅は、時代と共に所有者が変わり、今日まで受け継がれてきました。ニトリが取得した「對龍山荘」やユニクロの柳井CEOが個人で購入した「洛翠」がその一例です。建物の維持管理に加え、一流の庭師さんを入れて広大なお庭を維持するには一千万単位の費用がかかります。残念ながら、残したい住宅があれば一流企業やビリオネア篤志家に委ねるしかないのです。