東京海上日動ビル建て替えへ

丸の内駅舎・皇室専用貴賓出入口からまっすぐ行幸通りを西進すると右手に新丸ビル、次に現れるのが彫りの深い赤褐色タイルの格子が印象的な東京海上日動ビルディング本館(以下:東京海上ビル)です。竣工は1974年、今でこそ周辺は高層ビルばかりですが、当時は断トツの高さを誇っていました。1970年代の会社訪問解禁日10月1日でしたから、当日は人気企業のエントランス前に長蛇の列が出来たものです。なかでも、就職人気企業ランキング1位だった東京海上本社前の行列風景は秋の風物詩に例えられました。

皇居のお堀端という好立地が仇となり、建築家・前川國男が提案した30階・高さ130mの高層ビル案は物議を醸します。今でこそ笑い話ですが、皇居を見下ろすような建物を作るなど「不敬ではないか」「美観を害する」といった批判に晒されます。国会でも議論されるなど騒動は収まらず、高さを100m(25階)とすることで決着、計画着手から9年を経て東京海上ビルは完成したのです。

東京都知事の椅子を追われ評判がた落ちの猪瀬直樹ではありますが、作家としての所産には秀作が多く『ミカドの肖像』(1986年刊)もそのひとつです。第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した同作品の冒頭に経緯が詳しく書かれています。建築確認申請を受けた東京都が建築確認を渋ったのです。反対派の急先鋒はときの宰相佐藤栄作でした。東京海上と佐藤首相の間に入って調停を引き受けたのは、当時の自民党副総裁川島正次郎。ホテルニューオータニの高さ(17階)を引き合いにだして、川島は「足して2で割る」政治的決着を図ります。前川國男はこうした反対の声に対して「『美観』とか『景観』には、一個の『絵』として眺める意味が強くて、人間自らその中に生きる『環境』としての意味が希薄である」と反論、不毛な景観論争だと一蹴しています。晴海高層アパート(1997年解体)を手掛けた前川はタワマン流行りの今の日本の住まいをどう見ているのでしょうか。今や晴海エリアはタワマンのメッカ、前川が思い描いた「輝ける都市」の姿とは程遠いように感じるのは自分だけでしょうか。

紆余曲折を経て完成をみた東京海上ビルが取り壊されることが決まりました。8月1日のプレスリリースに<国産木材を使い木の使用量が世界最大規模となる高さ100mの「木の本店ビル」へ>とあります。デザイナーを担当するのは、プリッカー賞の受賞者にして世界的建築家のレンゾ・ピアノ氏が主宰する設計事務所RPBWです。スケジュールによれば、今年10月に解体が始まり、新本店ビルが竣工するのは2028年です。省エネルギー・脱炭素社会実現に向けた貢献が眼目のようです。新本店ビルの高さが100mに据え置かれた点を高く評価します。

東京海上ビルは、前川國男の代表作にして丸の内エリアのシンボル的存在。48歳で寿命が尽きてしまうのはあまりにも勿体ないと感じます。東京海上ビルの高さがその後の丸の内エリアの高さの目安となり、やがて皇居を中心にすり鉢状のスカイラインを描く「丸の内スカイライン」という考え方が示されました。日本の聖域・皇居を中心に都市の美観を整えることは、景観形成に定見のない行政に一定の指針を与えてくれるはずでした。ところが、2000年に建築基準法の特例として特例容積率適用地区が認められ、2002年に「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用区域」が適用第1号となりました。結果、丸の内・大手町エリアには100mどころか、200m超えの超高層ビルが誕生します。高さ205mの東京駅八重洲口を挟んで南北に聳える2つのグラントウキョウタワーを筆頭に、100m超えのビルは47を数えます。未利用の容積率即ち「空中権」を売買すれば、確かに高次元の都市空間を形成することはできます。下の写真は、東京駅舎の復原に際してJR東日本が売却した「空中権」の行先をイメージしたものです。懸念すべきは、特例容積率が認められることで建物の高さがこれまで以上にマチマチになることです。控えめに見ても、「空中権」の売買など外道としか思えません。街並みの美しさや安らぎは高さがある程度均された環境から生まれるものです。新宿副都心で感じる圧迫感と心理的違和感は凹凸の激しい景観がもたらすものです。当然、「丸の内スカイライン」という暗黙のガイドラインは自然消滅し、ハーモニーを喪った落ち着きのない都市景観が生まれてしまいました。

パリ大改造の立役者ジョルジュ・オスマンナポレオン三世の構想に沿って大規模な都市改造を企てます。その要は市街地をシンメトリーで統一的な都市景観を形成するようにしたこと。道路幅員に応じて街路に面する建造物の高さを12m~20mに制限し、美しいパリの街並みが誕生しました。パリの見識は、1972年に高さ210m・59階建てのモンパルナスタワーが建設された後に発揮されます。一転、高層ビルはパリの伝統的都市景観を損なうとして、パリ市は規制強化に乗り出し、パリ中心部でさえ高さは37mに抑えられることになります。前川が主張した不毛な景観論争とは一線を画した好ましい規制であり、恐らくは住民の意向を汲んで行政がイニシアティブを奮ったのだろうと推測します。景観論争に一石を投じた東京海上ビルを60年代~70年代のレガシーとして残しておいても良かったのではないかと思うのです。解体前に四方から写真だけでも撮って残しておくつもりです。