NHKスペシャル「東京超高層シティ 光と影」(2019/4/6放映)を見て

元号移行まであと8日。平成を振り返るテレビ番組が目白押しのなか、4/6に放映されたNHKスペシャル第6回「東京 超高層シティ 光と影」と題する番組は、実に興味深い内容でした。 失われた20年と呼ばれるように、バブルに踊らされた日本経済は気がつけば不良債権の山を抱え、1990年代前半から塗炭の苦しみを味わいました。今回のNスペは、そんな未曾有の逆境にあって、首都東京が高層都市化に大きく舵を切って、2020年の東京オリンピックを前に大きく変貌を遂げた背景に迫りました。

番組は、冒頭、平成30年間に高さ100mを超える高層ビルが三大都市圏に448棟誕生したと紹介します。100mと言われてもすぐにはピーンと来ませんが、身近になったタワマン(高さ60m超又は20階以上)30階の屋上に相当する高さです。448棟のうち実に7割近くは東京圏で建設されたそうです。今や、東京は、オフィス床面積でNYやロンドンを凌ぐというから驚きです。

高層都市化を紐解くキーワードは「空中権」の売買。JR東日本が、丸の内の大家さんこと三菱地所に持ちかけたのは、500億円で東京駅の「空中権」を買わないかという提案でした。「空中権」を売却して得た資金を東京駅丸の内駅舎の復原費用に充当するというのがJR東日本の腹積もりでした。当時の東京駅周辺の容積率は1000%、高さ制限は31m(8階建相当)でしたから、丸の内仲通りを挟んだビル群は圧迫感のない高さに抑え込まれていました。ここでふと思い出されたのは、猪瀬直樹の『ミカドの肖像』冒頭の下りでした。日比谷通りに面した東京海上が、高さ128m、30階建の本社ビルを申請したところ、許可が下りるまで何年もたらい回しにされ、挙句、高さ99.7m・25階建しか建設出来なかったというエピソードのことです。天皇をめぐる不可視の禁忌、すなわち、皇居を見下ろしてはならないと国も東京都も真面目に考えていたわけです。

JR東日本の提案は、バブル崩壊後テナント集めに苦労していた三菱地所には渡りに船。ところが、東京都は当然のことながら難色を示します。こうした提案が、都心一極集中を排して新宿副都心をはじめとする広域に都市機能を分散させたいという都の方針に反するものだったからです。今日、美しくファッショナブルな街並みに生まれ変わった丸の内界隈や5年に及んだ復原工事でかつての姿を取り戻した東京駅丸の内駅舎を眺めていると、当初の行政の対応には当然ながら首を傾げざるを得ません。「空中権」の売買を後押ししたのは、石原元都知事と小泉元首相の英断でした。首都東京の未来図を透視したふたりの政治家の決断が、東京の顔東京駅丸の内駅舎を復原させたのです。松田昌士JR東日本元社長が、現・東京駅(中央停車場)を設計した辰野金吾を「(明治人は)教養の基礎が違う」と形容したのは至言だと思いました。

一方、六本木6丁目で再開発を手掛けていた森ビルに、米投資銀行の雄ゴールドマン・サックスは巨大地震でもビクともしないオフィスビル(六本木ヒルズ-2003年竣工)でなければ入居しないと迫っていました。故森稔社長は当時、その要求に応える形で世界で最も安全な防災システムを作り上げようと決断します。森ビルは、今日では広く普及しているオイルダンパーを使って高層階の揺れを抑える工夫に加え、地下6階部分に100億円という莫大なコストかけて自家発電施設を設けることになります。自家発電施設といっても、その発電能力は3万8650kw。都心の発電所(都市ガスによる)といって過言ではありません。2011年の東日本大震災のとき、計画停電で街の灯りが消えるなか、六本木ヒルズ東京電力に余剰電力4000kw(一般家庭1100世帯分に相当)を供給していたのだそうです。都心を震度5強という大きな揺れが襲ったのに免震構造が奏功、最上階でグラスひとつ割れなかったといいます。

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丸の内と六本木の再開発にまつわるこうした逸話を知って、大都市東京の街づくりにおいて大手デベロッパーが果たした役割に敬意を表したいと思います。ただ、惜しむらくは、19世紀にジョルジュ・オスマンが取り組んだパリ大改造と比較すると、東京の街並みは不揃いで統一的美観への配慮が些か欠けているように感じます。番組では影の部分への言及に消極的でしたが、人口減少社会にあって空き家が深刻な社会問題と化しているように、近未来に超高層ビルが廃墟にならないという保証はないでしょう。今も進行中の数々の都心大型プロジェクトは成算あってのことを思いながら、一抹の不安も頭をよぎります。