久米美術館をご存じですか?~読む展覧会『米欧回覧実記』と挿絵銅版画~

会期終了間際に、JR目黒駅西口徒歩1分の好立地に所在する久米美術館を訪れました。この美術館をご存じの方は相当な博物館通ではないでしょうか。開館は1982(昭和57)年10月。過去の展覧会記録を遡ると、東京美術学校教授も務めた洋画家久米桂一郎氏(写真下)や同美術学校教え子の作品展が定期的に開催されているいることが分かります。

今回のお目当ては、桂一郎氏の父久米邦武氏が特命全権大使岩倉使節団の書記官として欧米を視察し、帰国後独力で執筆・編集した視察報告書、正式名称『特命全権大使 米欧回覧実記』(以下:『米欧回覧実記』)の初版本全5冊を見ることでした。『米欧回覧実記』の存在を知ったのは大学教養部時代。岩波文庫所収の『米欧回覧実記』校注に携わった田中彰教授の日本史の授業に触発されたのが、岩倉使節団の偉業を知るきっかけでした。マシュー・ペリー率いる黒船4隻が浦賀沖に来航したのは1953(嘉永6)年のこと。それから四半世紀も経たない1871(明治4)年11月から明治新政府首脳を含む総勢46名が米欧12カ国を歴訪、1年9ヶ月にわたり、欧米先進諸国の制度や文化全般を広く見聞・吸収に努め、その成果が精緻な銅版画挿絵とともに『米欧回覧実記』に収められています。随行した留学生43名(内、女子5名)のなかには、ルソーを日本に紹介した中江兆民津田塾大学創始者津田梅子らが含まれていました。岩倉使節団の主たる目的であった不平等条約の改正交渉こそ不調に終わりましたが、近代日本の針路を決定づける欧米の知見を持ち帰ったことは条約改正に匹敵する収穫だったのです。

『米欧回覧実記』の巻頭に、「觀」「光」と墨書されています。岩倉具視の自書だそうです。初版本(1878年刊行)は黒背皮の洋装本で立派な装幀です。初版500部の贈呈先のリストも展示されていて、各国大使の名前がありました。その後の5年間で3000部増刷されたといわれますから、相当な需要があったことが窺えます。

本展では、パリのシュンゼリゼ通りやウィーンのシュテファン大聖堂など、ヨーロッパを代表する景色や建造物を描いた銅版画(試刷)に該当箇所の説明文が添えて展示されています。岩波文庫版で見る小さな挿絵より遥かに鮮明で当時の欧米都市の様子が手に取るように分かります。こうした銅版画挿絵は、現地で調達した絵葉書なども参考にして制作されたそうです。説明文は努めて客観的に記述されていて、高さ、幅、石材の種類等々恰も観察日記の如、仔細な記録が残されています。

久米美術館は久米ビルの最上階8階にあって、いかにもプライベートミュージアムという佇まいです。美術館は、明治10年代に、久米邦武氏が当地(当時は目黒の永峯)に約5千坪の土地を購入し邸宅を構えたことに始まります。購入資金には『米欧回覧実記』完成の労に対して下賜された金500円が充てられたそうです。久米邦武氏の胸像はビル1階のエレベーターホール奥に飾られていました。