二重螺旋構造のさざえ堂(会津若松市)を訪ねて

さざえ堂の存在を知ったきっかけは、建築家・磯崎新さんの著書『日本の建築遺産12選 語りなおし日本建築史』(新潮社とんぼの本・2011/6/25)です。本書で取り上げられた12の日本建築のなかで、さざえ堂は最も奇想天外な存在と言えるでしょう。所在地は白虎隊十九士の墓所のある飯盛山の一角、寛政8(1796)年に建立された六角三層の堂宇です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」(重文)と言います。

写真やイラストを見ながら脳内でイメージを膨らせてみたものの、具体像が一向に湧き上がって来ません。百聞は一見に如かず、やっと実物と対面する機会が訪れました。拝観料400円を支払って、入口から時計回りで板張りのスロープを上っていきます。滑らないようにスロープには横木が渡してあります。1と3/4周上り、太鼓橋を渡ると、今度は逆時計回りで1と3/4周し入口と反対側の出口へ降りてくる構造です。動線が一度も交わらないので、二重螺旋構造だったことが分かります。


入口から時計回り


最上階の天井部分

「頭が痛くなるような立体の計算をこなして、複雑怪奇な継手小口(材と材の合わせ角度)を決めていかなくてはいけません。」とくだんの磯崎さんが建築家目線で設計の難しさを強調しています。考案者は当時の住職・郁堂さん。堂宇巡りを済ませ改めて遠巻きに建物を眺めてみると、なんとも奇怪な外観です。大工さん泣かせの着想だったことは一目瞭然です。現地で撮影した写真(下)をとくとご覧下さい。

神仏分離政策が実施された明治以前は、ぐるり堂宇を巡ると内部の逗子に祀られた西国三十三観音参りが可能でした。それぞれの逗子に設けられた賽銭投入口を通じて、階下にある賽銭箱に集金される仕組みだったそうです。空っぽの逗子が恨めしく思えてなりません。

さざえ堂を見た建築マニアなら誰しも、NYにあるフランク・ロイド・ライト設計の「グッゲンハイム美術館」を想起するはずです。エレベーターで最上階に上がりスロープを下りながら展示品を鑑賞するアイディアの先駆は、すでに江戸時代のさざえ堂にあったのです。