『牧野富太郎自叙伝』を読む〜牧野記念庭園と共に〜

小学生の頃、庭いじりが好きだった祖父の書棚で『牧野植物図鑑』を目にしたことをきっかけに、牧野富太郎(1862-1957)が世界的植物学者だと知りました。男の子は、植物よりも動物や昆虫に圧倒的に興味をそそられるものですが、自分は新種の植物を見つけて系統的に分類し命名するという作業に熱中した牧野博士という人物に強く惹かれたことを記憶しています。

GW前半、三宝寺池の散策がてら、東大泉の牧野記念庭園を訪れました。牧野富太郎博士が亡くなるまでの30年間を過ごした居宅跡に開設されたのが牧野記念庭園です。故人が生前希望していた植物園創設が練馬区の尽力で実現したというわけです。700坪弱の敷地には300種類以上の草木が植栽されています。今では大泉駅にほど近いこの地は便利な住宅地という佇まいですが、関東大震災後に都心から牧野一家が引っ越してきた時分は、雑木林に囲まれた武蔵野そのものだったそうです。


博士より30年近く前に早逝した寿衛(すえ)夫人(享年55歳)の献身的支えを顕彰するかのように、敷地の西南にある博士の銅像の足元をスエコザサが覆っています。夫人への感謝を込めて博士が命名したものです。夫人への最高のプレゼントではありませんか、しんみりさせられました。小学校さえ中退を余儀なくされた博士が飽くなき学問追究を成し遂げられたのは家族の支えがあったればこそなのでした。

1956年に出版されたという『牧野富太郎自叙伝』を講談社学術文庫で読むことができます。記念庭園にある常設展示の年譜からは窺い知れない博士の一生は波瀾万丈そのもの、実にドラマチックです。とりわけ、理科大学植物学教室への出入りをいったんは許されながら、狭量の矢田部教授から追放されるなど、「受難」と題して最高学府の権威者との絶えなき反目を記述した箇所が断然面白いところです。この受難こそ、博士のその後の生き様を決定的にします。訣別する人がいる一方で、博士に救いの手を差し伸べる人が次々と現れる。人生とは奇縁なものです。


常設展示品をのなかに牧野式胴乱を見つけて、懐かしい思いに浸りました。久しく胴乱という名称さえ忘れていたからです。胴乱とは植物標本収集用のブリキ製肩掛けかばんのことで、小学生の頃、この胴乱を携えて、ひるがの高原で植物採集をしたものです。今でも販売されているのでしょうか、記念庭園で思わぬ出会いがあったこと、こうして、末尾に書き留めておくことにします。



牧野富太郎自叙伝 (講談社学術文庫)

牧野富太郎自叙伝 (講談社学術文庫)