キッシンジャーからの手紙

イスラエルVSハマスの対立に割って入れない米国。強大な軍事力を背景に世界のリーダーとして君臨した米国のイメージはもはや過去のもの、米国の求心力は衰える一方です。

11月29日に100歳で亡くなったヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は大統領を凌ぐ外交手腕を発揮し、米国が国際舞台でひときわ輝いていた時代の象徴とも言える存在でした。12月1日付け日経の朝刊コラム「春秋」担当者は、テレビでニクソン米大統領の訪中を知り腰を抜かしたと述べています。日本では「あさま山荘」事件のテレビ中継に国民が釘付けになっていた頃の出来事です。のちの米中国交正常化(1979年)に繋げた立役者は、ニクソン訪中の前年、周恩来首相(当時)と極秘会談を通じて地ならしをしたキッシンジャー大統領補佐官です。


画像:BBC NEWS JAPAN

当時、中学校の英語の授業で英文の手紙を書いて好きな人に送って返事を貰おうという課題が出されました。現職の米国務長官キッシンジャー氏に宛てて手紙を書きました。VIA AIRMAILと印刷された国際郵便の専用封筒に宛名を書くとき、少し大人になった気がしたものです。連日、新聞一面を賑わす颯爽とした容姿のキッシンジャーに畏敬の念を抱いたからでしょうか。何故、キッシンジャー氏を選んだのか?その理由は記憶の彼方です。振り返れば、子どもらしからぬ宛て先の選択でした。

しばらくするとA4判の分厚い封筒が届きました。米国務省のレターヘッドにびっしりタイプアウトされた返信があったのです。国務長官は多忙を極めているので代わりにお礼方々秘書官が認めたとあります。万年筆の署名はキッシンジャー氏だったと記憶しています。驚く勿れ、封筒には厚紙で保護されたキッシンジャー氏の大判写真も入っていました。背景色の鮮やかなブルーが印象に残っています。

メールやSNSでいとも容易く国境を超えて通信できる今とは違って、「エアメール」が主流の時代です。極東の非英語圏の中学生が拙い英文で書いた手紙に返信をくれること自体、奇蹟のような出来事ではありませんか。返事を貰えた同級生は極めて少なかったはずです。唯一覚えているのは、スヌーピーの生みの親、チャールズ・M・シュルツさんから返事を貰った同級生くらいです。今日なら自慢気に写メを撮って拡散するところですが、大切にしていたはずの返信は今や行方知れず。年末の大掃除のついでに家探しするつもりです。

キッシンジャー氏の訃報で思い出したささやかな自身のエピソードです。