2023年秀山祭九月大歌舞伎・千穐楽「夜の部」|『一本刀土俵入』(長谷川伸・作)の「刻石流水」

二世中村吉右衛門三回忌追善と銘打った今年の秀山祭「夜の部」最後の演目は、『一本刀土俵入』です。明治生まれの劇作家にして「股旅物」の創始者長谷川伸(1884-1963)の不朽の名作ですが、歌舞伎化されていたとは露知らず、秀山祭の演目が発表されたとき意外に感じたものです。手元の『新版 歌舞伎事典』(平凡社)には、昭和6年(1931年)7月初演(駒形茂兵衛=六世菊五郎)とあります。同年6月、原作が『中央公論』に発表された直後、新作歌舞伎として上演されたことが分かります。戦後、幾度となく映画化され三波春夫さんはじめ大勢の歌い手が歌謡浪曲を披露していますから、大正・昭和世代にとって単に懐かしいだけでなく、大衆文化の粋が詰まった作品と云えるでしょう。

主人公は幸四郎演じる駒形茂兵衛、仕事は「取的(とりてき)」です。「取的」とは幕下以下の力士を指します。褌担ぎと同義ですが、今や死語と言っていいでしょう。親方から<関取の目なし>とダメ出しされ、形ばかりの餞別も食物に消えて、落魄した身なりで取手宿の我孫子屋の前に茂兵衛が現れます。


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宿前でゴロツキが若夫婦相手に喧嘩を始めますが、頼りなさ気に見えた茂兵衛の頭突きで忽ち失神、這々の体で退散します。その様子を2階の軒先から見ていたのが、雀右衛門演じる酌婦のお蔦。伝法ながら情に厚いお蔦は親を亡くし一文なしの茂兵衛に惜し気もなく櫛簪を与えます。茂兵衛と似たり寄ったりの境遇にもかかわらずです。もう一度、元の親方に弟子入りし横綱をめざすと約束してふたりは別れます。お蔦は、軒先で斜に構えて三味線を奏でながら故郷の唄「おわら節」を披露します。花道から一目散に消えようとする茂兵衛を何度も呼び止め舟賃まで渡すお蔦。お節介なくらい茂兵衛を気遣うお蔦の心根を、雀右衛門が繊細な演技で表現します。お蔦は24歳、難しい役どころも雀右衛門の手練にかかるとまったく違和感がありません。

それから十年。娘と共に陋屋に暮らすお蔦の元に渡世人姿の茂兵衛が現れます。時が流れ、ふたりとも序幕のお蔦と茂兵衛とは別人のように見えます。死んだとばかり思われていたお蔦の夫・辰三郎(松緑)が訪ねてきたものの、イカサマ博打に手を染めて、土地の親分・儀十(錦之助)から追われる身。

年端もいかない娘が唄う越中八尾の「おわら節」を聞いた茂兵衛が、十年ぶりにお蔦を訪ねてきます。茂兵衛は一文なしだったとき助けてくれたお蔦にお礼を述べて路銀を差し出しますが、お蔦は当時のことをすっかり忘れていて、擦れ違ったままです。そこへ儀十一味がやってきます。ここで舞台が廻り、木戸口から外へ出た茂兵衛は手下を次々と打ち負かし、刀を捨てて親分・儀十と四つ相撲に及びます。ようやくお蔦は横綱になると誓った茂兵衛のことを思い出します。

「お行きなさんせ、早いところで、・・・仲よく丈夫でおくらしなさんせ。・・・お蔦さん、棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に、櫛かんざし、巾着(きんちゃく)ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見て貰う駒形の、しがねえ姿の、土俵入りでござんす。」

お蔦一家を見送る茂兵衛の幕切れの長セリフが哀愁を誘います。

かつて大衆に圧倒的な支持を受けた義理人情の世界にすっかり嵌ってしまいました。仏教典にある「刻石流水」、受けた恩義はどんなにささやかであっても心の石に刻み、施したことは水に流すの謂です。時代が変わっても、歌舞伎の舞台が『一本刀土俵入』に託された価値観をきっと後世に伝えてくれることでしょう。菊之助・丑之助親子の『連獅子』は、9歳とは思えない丑之助丈の力強い気振りと貫禄に唯々脱帽です。『菅原伝授手習鑑 車引』も含め、千穐楽の三演目はいずれも満足度の高い内容でした。


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