「判官贔屓」とスーパー歌舞伎II「新版 オグリ」

一昨日は新橋演舞場で観劇、演目はスーパー歌舞伎ll「新版 オグリ」(10/6~11/25)でした。先代市川猿之助(現:二代目猿翁)が梅原猛と組んで手掛けた「オグリ」が、28年ぶりに新解釈で蘇りました。この日の小栗判官おぐりはんがん)は、四代目市川猿之助(中村隼人と交互出演)。本水あり、左右同時宙乗りありで、スーパー歌舞伎の本領発揮といったところでしょうか。プロジェクションマッピングやLEDパネルといった最新映像技術を駆使した華やかな舞台は、歌舞伎通だけではなく、若い世代も惹きつけているのではないでしょうか。能や人形浄瑠璃が観客層の高齢化に伴い存亡の危機に瀕しているのに対し、「ワンピース」や「ナルト」といった人気アニメを次々と舞台化する歌舞伎界は、進取創造の精神に富み、観客を飽きさせることがありません。興行主として、松竹という一民間企業が歌舞伎という伝統芸能を支えていることが大きいのかも知れません。

さて、「オグリ」の主人公小栗判官は実在の人物ではありません。浄瑠璃や歌舞伎になった「小栗判官」は、中世末から近世にかけて隆盛した語り物「説経節(せっきょうぶし)」に遡るのだそうです。歌舞伎には「判官物」という確固たるジャンルがあって、悲運の英雄義経の伝説にまつわる演目が多数あります。歌舞伎十八番の「勧進帳」をはじめ、知名度の高い「鬼一法眼三略巻」や「義経千本桜」もその「判官物」です。

そもそも「判官」(通常、はんがんと読みます)とは、どんな官位なのでしょうか。律令国家においては、長官(かみ)、次官(すけ)に次ぐ3番目の官位が判官(じょう)に相当します。検非違使の左衛門少尉に義経が就いたことから、判官といえば義経を指すようになったのです。地方なら国司クラス、決して低い身分ではありません。

数々の武功を立てながら、兄頼朝に追われる身となった薄幸の九郎判官義経に理屈抜きの同情や愛惜が集まるのは無理もありません。忠臣蔵を題材にした仮名手本忠臣蔵の塩冶判官は浅野内匠頭がモデル。理不尽な理由で実の兄から追われる身となった義経のみならず、殿中で刃傷沙汰を働いたかどで切腹を命じられた浅野内匠頭をはじめ非業の死を遂げた武将ら敗者に無意識のうちに感情移入してしまうのは、日本人特有のメンタリティなのかも知れません。「判官贔屓」とは、そうした敗者への無意識の心情の発露と言えそうです。