21世紀を生き抜くための最良の指南書|『シンプルで合理的な人生設計』のエッセンス(橘玲著・ダイヤモンド社)

著者・橘玲氏の事実上の出世作『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(2002年・幻冬舎)に大いに刺戟・啓発され、起業へと舵を切ったのは2000年代前半でした。安直なハウツー本を思わせるタイトルなのにどうしてこの本に手を延ばしたのか、記憶は定かではありません。厚労省のデータによれば、2019年における入社3年以内の離職率は約3割。2000年代はじめに、経済的自立の重要性を説いてサラリーマンに起業を促した著者の大局的視野は時代を先取りしていたことになります。爾来、新作が刊行されるたびに目を通してきました。

今年3月に上梓された掲題本は、2017年に刊行された『幸福の「資本論」』の続編にして、橘玲氏の集大成ともいうべき論考にあたります。経済的自立を獲得するための第一歩は「人的資本」を得意な分野に一極集中させることです。著者が無能な上司や雑用に振り回されがちなサラリーマンやOLにフリーエージェント戦略を勧めるのはそのためです。帰属する組織からの脱出は目先の収入基盤を喪うだけに決して容易なことではありませんが、転職を視野に入れて、先ず自分の能力やスキルを最大限発揮できる環境に身をおくことが肝心です。グレッグ・マキューンの『エッセンシャル思考』を引き合いにして、「人的資本」に関しては、優先順位最上位にあること=「エッセンシャル」に集中することに尽きるのだと結論づけています。最大の成果は一極集中からしか生まれないということです。TVドラマ『ドクターX』に登場するフリーランス女医・大門美知子の「致しません」こそ、究極の「人的資本」活用術なのです。

幸福の土台は3つの資本に集約されます。ここで履き違えてならないのは「人的資本」が単なる労働力を意味しないことです。あくまで給与や報酬に繋がる能力だけが「人的資本」と呼べるのです。従って、成功者とは「自分の能力を効率的にマネタイズしているひと」と定義されます。こう講釈されると、「非エッセンシャル思考」に時間を奪われる大多数の会社員は、その能力やスキルを十分に活かし切っておらずマネタイズが上手くいっていないことになります。

近年、米シリコンバレーで「大学で時間を浪費することに意味はあるのか」と大学の存在意義に疑問を投げかける機運が澎湃として沸き起こっているそうです。況や日本の大学をやです。高度化した知識社会(≒メリトクラシー)で頂点に君臨できるのは、「教育」になんらの価値も見出さず、中退して起業した「とてつもなく賢い若者」だという指摘は実に明快です。棋界で前人未到の八冠制覇をめざす藤井聡太名人はその典型です。そこそこの大学を卒業したという「学校歴」は就職の際に多少プラスに働いても、長い人生において、殆ど価値はありません。自分の人生を魅力的な物語にするには、「金融資本」、「人的資本」、「社会資本」の土台をいかに合理的に設計するかにかかっていると著者は断言します。「社会資本」で注目すべきは、愚痴を聞いてくれる友人より同じ夢をめざす仲間とのネットワーク構築だという点です。黒澤映画『七人の侍』の如です。タイパの観点からも既存の人間関係を怜悧に分析し、主体的に人間関係を選択する態度が重要です。

シリコンバレーのハイテク企業で次々とイノベーションが生まれるのに対し、著者は日系企業ムラ社会をこう揶揄します。

<「日系日本人、中高年、男、特定の学部卒(ほとんどが文系)」というなんの多様性もないメンバーが派閥や序列をつくり、アイデンティティ(自尊心)をめぐって対立しているのだから、グローバルな競争から脱落していくのも当然なのだ。>

生成AI(ChatGPT)の出現によってホワイトカラーの90%の仕事がなくなるとホリエモンこと堀江貴文は警鐘を鳴らしています。テーマが多岐にわたり、全体として整合性を欠くきらいはありますが、本書は21世紀を生き抜くための最良の指南書ではないかと思います。特に方向転換しやすい20代30代にお薦めです。