英詩 ”Bloom where God has planted you."(『置かれた場所で咲きなさい』)

就職後、早々に会社を辞める若い人が増えています。最近、身の回りでも頻繁にこうした話を耳にするようになりました。知人の息子は30代で3社目。同級生の息子(30代半ば)は、大手広告代理店を皮切りに2度転職し、最近、起業したばかりだそうです。ふたりとも有名国立大学の理工系卒だけに、ご両親もさぞ戸惑っているのではないでしょうか。

厚生労働省によれば、転職回数の平均は20代までは1回。30代では2回、40代以降は3回程度だそうです。先のふたりの転職は統計とピタリ一致します。かつては「石の上にも三年」と言われたものですが、「我慢強く耐え忍べば、必ず成功する」というご託宣はミレニアル世代以降に殆ど訴えていないことになります。人口減少によって労働者の立場が有利になったことは事実です。しかし、回を重ねる転職は果たして正しい選択なのでしょうか。

1992年にノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ゲーリー・ベッカーは、教育や訓練を通して高めることができる人間個人の能力を「人的資本」と定義し、全ての投資のなかで一番価値あるものは、「人的資本」への投資(人間への投資)だと主張しました。最近流行りの「リスキリング」も「人的資本」を増大させるひとつの手法です。雇用者である企業側も人材の価値を最大限生かすべく「人的資本経営」に乗り出し、企業価値を高めようと動き始めています。

橘玲は、著書『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(幻冬舎)のなかで、今ひとつ分かりにくい「人的資本」を生涯年収を使って計量化します。給与・退職金、有給休暇や各種補助金制度などのフリンジベネフィットを積算し現在価値に置き換えると、20代の会社員でもざっと数億円の価値があることになります。

金融投資なら真っ先にまとまった元本が必要になりますが、心身共に健康な会社員であれば、元手なしで定年まで働いて相応の対価を得ることができます。終身雇用制度が崩壊しつつあるとはいえ、就職によって獲得した「人的資本」を軽々に手放すのは賢明な選択とは思えません。フリーランスや起業で成功できるのは、ひと握りの人間だけだからです。転職も度重なれば所謂ジョブ・ホッパーと看做され、「人的資本」の毀損に繋がります。

同級生のなかに、勤務先で度々早期退職を促されながら断固拒否して、平社員のまま定年退職まで粘った強者がいます。経済的自立が達成できないのであれば、会社にしがみつくのは極めて合理的な行動です。40代以上の会社員なら、”FIRE”の甘美な囁きに惑わされず、冷静に自己の「人的資本」を推し計り、退職時期を見誤らないことです。会社員も公務員も、退職して初めて、どれほど職場に庇護され周囲の人間に支えられてきたかを知るのです。

数日前、ふたりのボランティア仲間から突然「ずっと仕事が嫌でもっと早く会社を辞めたかった」と打ち明けられました。真面目で誠実な人柄のふたりだけに意外な思いで受け止めました。

米国の自由主義神学者ラインホルド・ニーバーの詩・”Bloom where God has planted you." (『置かれた場所で咲きなさい』)にあるように、人生で最大の時間を費やすことになる職場で輝くことこそ、唯一にして最善の道だと思うのです。同名の著書『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬社)で知られる渡辺和子シスターは、「咲けない日は、根を下へ下へと降ろしなさい」とアドバイスします。いつか大輪の花を咲かせるために、鋭気を養い努力を怠るなという趣旨でしょうか。長い人生、誰にも不遇な時代はあるものです。外資系銀行に転職したばかりの頃、直属上司の口癖は「今のポストでoverqualifyしたら、昇進・異動させてやる」でした。当時、ストンと腑に落ちたので、今もときどきその上司のしたり顔を思い出します。

隣の芝生は青くありません。本当の幸せは、チルチルとミチルが目覚めて気づいたように、きっと手の届くところにあるはずです。