日航機墜落から38年

乗客乗員520人の命を奪った日航機墜落事故から38年。奇跡的に4人が生還しました。事故当日のことは今でも鮮明に記憶しています。社会人3年目の独身寮暮らしで、8畳程の狭い居室で翌日未明までテレビに齧りついていました。到着予定時刻を数時間経過しても、墜落場所が詳らかにならないことがとてももどかしく感じられました。自衛隊や米軍のヘリコプターによる捜索で遭難場所がたちどころに判明し救援活動が行われるはずだと思い込んでいたからです。事故の詳細を知ろうとテレビのチャンネルを何度切り替えても、状況は翌朝まで変わりませんでした。

1985年8月12日は月曜日。翌日からお盆の入りだったので18:00羽田発大阪行き日航123便はほぼ満席で12分遅れで離陸しました。ビジネスシャトルと呼ばれた羽田-大阪便には、夏休みの帰省客に加え企業戦士や芸能人など著名人が数多く搭乗していたのです。7年前の尻もち事故の修理を担当したボーイング社のミスで圧力隔壁が破壊され、垂直尾翼の6割を爆発で失ったことが主たる事故原因だとされています。爆発以降、操縦士が機をコントロールすること能わずダッチロール状態となり、機内はパニックに。機影がレーダーから消えたと第一報を伝えたのは時事通信でした。配信時刻は19時13分、日航123便が墜落したのは18時56分のことです。

事故後、朝日新聞社が刊行した取材ドキュメンタリーや吉岡忍さんの『墜落の夏ー日航123便全記録』(新潮社・1986年)をはじめ、数多くの著作に触れて事故の全容を理解しようと努めてきたつもりでしたが、38年目の8月12日に放映されたNHK総合「アナザーストーリーズ」(初回放送:2021年)を 観て、想像力の欠如を思い知らされました。番組は、現場を取材した記者の葛藤や身元確認作業に従事した元看護師の実体験、更に遺族や警察の責任追及にスポットを当てます。地元紙・上毛新聞の伊藤カメラマンは事故翌日午前中に墜落現場入りできた数少ない報道関係者です。休暇中だったためスニーカーに普段着で入山し5時間かけて「御巣鷹山の尾根」にたどり着いたのだそうです。登山道が整備されているような山域ではありません。着の身着のまま飲まず食わずの過酷な道中だったわけです。正午に下山を開始した伊藤カメラマンは18:00の締切に間に合わせようと必死だったといいます。ズボンは破れ泥まみれになって帰社したそうです。伊藤カメラマンだけが撮影できた生存者救出の瞬間が全国紙はじめ各紙一面に掲載されました。世紀のスクープのはずなのに伊藤カメラマンは「何やってんだ」と自分を責めるしかなかったと振り返ります。

伊藤カメラマンの同僚だった横山秀夫は後に作家となり、日航機墜落事故の取材体験を基に『クライマーズ・ハイ』を上梓。後に映画化されています。その映画には忘れられないシーンがあります。新聞を求めて上階の編集局までやってきた親子を邪険にあしらうスタッフを見て、主人公の悠木日航全権デスクは親子を玄関口まで追いかけ事故の掲載紙一式を手渡します。深々と頭を下げた先には黒塗りの車が待機していて、白い手袋をした運転手がドアを開けて親子を迎え入れます。ご遺族だったのでしょう。怒号が飛び交い多忙を極める新聞社にあって、悠木だけが編集局まで訪れた親子の胸中に寄り添ったのです。

「アナザーストーリーズ」に戻ります。メディアが切り取ったカットを見ているだけでは決して真相は見えてきません。その陰には、真夏の深夜、ひたすら現場をめざして悪戦苦闘した人々がいます。一刻を争う人命救助に携わった自衛隊員や消防・警察関係者らはどんな思いでどのようにして遭難現場にたどり着いたのでしょうか。「戦場」に例えられる凄惨な墜落現場を目にした彼らは真っ先に何を考えたのでしょうか。報じられない無数の断片に思いを馳せることは容易ではありません。

現場からはご遺体が次々と検屍場に運び込まれてきます。墜落事故の犠牲者は未曽有の520人、実際に回収されたご遺体は数千体だったといいます(飯塚訓著『墜落遺体』より)。救命が本来の使命なのに、日赤の看護師さんをはじめ医療従事者は経験したことのない身元確認作業に従事することになったのです。「なるべくきれいに、元の形に」と極限状態で奮闘した元看護師さん3人の肉声を聴いて胸が熱くなりました。皆さん凛としていてとてもいい表情をなさっていました。事故から38年、「御巣鷹の尾根」に慰霊登山をされるご遺族の方が年々少なくなっているそうです。人間の想像力は誠に貧困です。想像力の欠如を認め、まず人に興味を抱き関心の薄い事柄にも関心を払って、日頃から想像力を鍛えるしかありません。日航機墜落事故の記憶を風化させないためにも、毎年8月12日は墜落事故について考える時間を作りたいと思うのです。巨大航空機や原発をはじめ巨大なシステムを無留保で受け入れている私たちの暮しには人知の及ばない途方もないリスクが潜んでいることを忘れないことです。