『朝日新聞政治部』(鮫島浩著・講談社)を読んで〜落日の新聞ジャーナリズム〜

紙媒体の新聞の消滅はもはや時間の問題です。この5月に出版されたばかりの『朝日新聞政治部』を読んでそう確信しました。物心ついた時分から長年朝日新聞購読してきた者として、天下の朝日新聞が今や権力に阿る御用新聞に成り下がったことを痛恨の思いで受け止めています。最初に断っておきますが、『朝日新聞政治部』というタイトルは看板に偽りありです。内実は、呆れるほど属人的な組織で出世栄達を目指し敗残者となったサラリーマン記者の回想録といったところでしょうか。やれ政治部だ社会部だと社内で派閥抗争を繰り広げる記者たちは、愚かな政治家たちと少しも変わりません。

筆者・鮫島浩氏は元朝日新聞記者。特別報道部デスクとして、東電・福島第一原発事故政府事故調査・検証委員会が吉田所長(2013年死去)にヒアリングして記録した所謂「吉田調書」取材班を指揮、2014年5月20日付け朝刊で世紀の大スクープを白日の下に晒します。大スクープをモノにした取材班はその年の新聞協会賞が確実視され、内外から手放しの賞賛を受けるはずでした。

センセーショナルな見出しにはこうありました。

政府事故調の『吉田調書』入手/所長命令に違反 原発撤退/福島第一 所員の9割/震災4日後、福島第二へ」

A4判で400頁を超える門外不出の『吉田調書』を他紙に先駆けて入手、紙面は未曾有の原発事故現場における東電の対応を厳しく非難する内容だったのです。当時、この紙面を目の当たりにして衝撃を覚えた記憶があります。しかし、3ヶ月後、急転直下、朝日新聞社は記事全体を「誤報」と認定し取り消すことになります。混乱した現場で所長の命令が十分に所員らに届かず、結果的に第二原発へ退避(撤退ではなく)したのがどうやら真相のようです。一方で、「決死隊」として「いちえふ(1F)」に残留した東電社員や協力会社の作業員たちが懸命に収束作業にあたったことも事実ですから、素人目にも、乱暴な取り上げ方です。筆者も丁寧に記述しておけば、記事全体の取消しには繋がらなかったはずだったと自認しています。

同じ時期に、社長がコラム掲載を拒否した「池上コラム」問題が起こり、さらに長年疑問視されていた慰安婦問題をめぐる「吉田証言」を虚偽と判断した朝日新聞社は、過去の関連記事16本を取り消します。これを機に朝日バッシングが猖獗を極めることになります。歯牙にも掛けなかったSNSからも総攻撃を喰らいます。時の安倍政権だけではなくマスコミ各社はここぞとばかり朝日新聞社を一斉攻撃、2014年9月11日、木村社長が謝罪会見を開き、「命令違反で撤退」という表現を公式に取り消します。これに関わった経営陣をはじめ、編集担当、そして現場の記者らは責任を取らされ、その多くは辞職に追い込まれていきます。花形・特別報道部はやがて廃止の憂き目に遭うことになります。筆者は降格し閑職へ異動、2021年2月、早期退職届を提出し退社します。

本書には全国紙の朝刊販売部数が記載されています。1994年に822万部を誇った朝日新聞の販売部数は年々減少を続け、2021年には466万部まで落ち込んでいます。2020年の朝日新聞社の決算は創業以来最大となる459億円の大赤字を計上しました。人件費削減のために、4000人の社員を2023年までに300人以上削減することになっています。全国に点在する支局も統合整理し、昨年7月には朝夕刊セット版を4400円(従来4037円)に値上げしています。筆者曰く、自紙を無料で購読できる記者らには購読者がお金を支払っているという自覚はさらさらないそうです・・・

落日のプリントメディアに未来はありません。バブル崩壊後、紙面で東電をはじめ数多くの企業の不祥事やガバナンス欠如を散々指摘してきたのは他ならぬ朝日新聞社でした。デジタル社会到来に伴う急速な社会変化を先駆けて報じてきたはずなのに、我が事に非ずと背を向けてきた朝日新聞社の凋落は無残そのものです。マスメディア自身が社会の変化に無自覚だった証です。

昨日、紙面に故・出井伸之氏(ソニー元社長)の言葉が掲載されていました。「インターネットは恐竜を絶滅に追い込んだ隕石だ。ハードからネットワークやデジタルにパラダイムを変えないと」、強烈な危機感を抱きながらソニーの立て直しに失敗した出井氏を悼む内容でしたが、署名記事を書いた編集委員大鹿靖明記者はライブドア事件福島原発追いかけた著書もある敏腕記者、現在の朝日新聞社をどう見ているのでしょうか。

朝日新聞には、名「天声人語子」として名を馳せた故・深代惇郎さんや最近亡くなった外岡秀俊さんのような感受性豊かな記者が大勢いました。かつて、新聞は「社会の木鐸」と呼ばれていました。それが、東京五輪の共同スポンサーとなってコロナ禍の五輪を強行する片棒を担ぎ、官邸や警察に擦り寄った忖度記事しか書けないようでは朝日新聞にかぎらず発表ジャーナリズムと揶揄されても仕方がありません。「オピニオンリーダー」や「社会の木鐸」といったメディアを貴ぶ形容は、死語となって久しい気がします。300頁超えの本書にこのふたつの言葉は一度も登場しませんでした。

暴走しがちな権力は行政に限った話ではありません。誰が三権をしっかりと監視してくれるのかと思うと暗澹たる思いに駆られます。