没後75年目の「桜桃忌」

6月19日は太宰治の命日にして生誕日。太宰が山崎富栄と共に玉川上水に身を投げたのは昭和23(1948)年6月13日深夜とされていますから、正確には19日は命日ではなくふたりの亡骸が見つかった日です。6月19日を「桜桃忌」と命名したのは、同郷にして同い年の小説家・今官一(1909~1983)。最晩年の著作「桜桃」に因んだ命名とその企みは見事に成功しました。「桜桃忌」は歳時記に掲載されるほど広く知られ定着することになります。

<他郷にてのびし髭剃る桜桃忌> (寺山修司)

「桜桃忌」に太宰治墓所禅林寺を訪ねたのは数年ぶりのことです。日没が近い時間帯でしたが、お参りに訪れる人波は途切れることがありません。すれ違うのも窮屈な墓所の通路に立ち去り難いファンが佇んでいます。しばらく墓前を離れずにいると、太宰をカタリストにして見知らぬ者同士で会話が始まり、やがて大きな輪に拡がっていることに気づきました。日本語の堪能なロシアからの公費留学生も混じっています。

墓前は供花やサクランボで立錐の余地もありません。駆け込むように次々と訪れる若い人たちは、きっと仕事や学校帰りなのでしょう。黄昏どきまで人熅れの絶えない桜桃忌の景色に少し胸が熱くなりました。