2021年歳末の青山霊園を訪ねて~お墓参りと墓所散策~

冬至前に両親のお墓参りを済ませておこうと青山霊園を訪れました。お盆やお彼岸なら大勢の墓参客で賑わう青山霊園ですが、師走ともなると人出は疎らでした。年末のお墓参りにはふたつの意図があるように思います。ひとつ目はこの1年無病息災で過ごせたことに対するご先祖様の加護への感謝の気持ちを表すため。ふたつ目はお墓のお掃除です。宗派が仏教であれば供花、我が家は神道なので依り代の榊をお供えします。秋のお彼岸の墓参から3ヵ月近く経っていますから、榊はすっかり色褪せて少し触るだけでハラハラと葉っぱが落ちてきます。外柵の花崗岩の隙間からは雑草が見え隠れしているのでむしって、散らばっている落ち葉や枯れ枝も丁寧に拾います。墓石は水を含んだスポンジで優しく磨きます。年末の晴れた日にお墓の掃除をするのは気持ちのいいものです。

雑草が生い茂り荒廃したお墓がある一方で、いつ訪れてもお手入れの行き届いたお墓もたくさんあります。供花が枯れているのをみたためしがないお墓さえあります。故人の月命日にお墓参りを欠かさないご子孫がいる家庭は幸せです。水替えやお掃除が面倒だからといって生花を造花にしてしまうのはさすがに躊躇われます。遠方だからといって、お墓参り代行サービスに頼るのもしっくりきません。我が家は10年前に思い切って改葬したので、毎月は無理だとしても、定期的なお墓参りは欠かさないようにと心掛けています。

青山霊園の警視庁墓地(西南戦争以降の殉職者を弔う墓地)の一角に、日露戦争講和条約ポーツマス条約)に調印した全権大使小村寿太郎墓所があります。周辺には日本近代史を彩る著名人の墓が多数みられます。少し高台になった警視庁墓地の西側に駐車スペースがあるので、大抵、この辺りを散策してから帰路につくことにしています。戦局有利のなか賠償金を放棄した講和内容に国民は激怒、日比谷焼き討ち事件に発展したのは史実のとおりです。立派な鳥居の先の小村寿太郎のお墓には色とりどりの菊の花がお供えしてありました。ご後昆がお参りしたばかりだったようです。

ロシアとの講和交渉妥結に命を賭した小村寿太郎の生涯を描いた力作『ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎』(吉村昭著・新潮文庫)を読むと、当時、小村が国賊と罵られたのはとんでもない見当違いだったことがよく分かります。関税自主権を回復したのも小村寿太郎の手柄でした。

1874(明治7)年に開設された日本で初めての公営墓地・青山霊園を散策しながら、歴史上の人物に出会うのもお墓参りの楽しい副産物なのです。