幸田弘子先生追悼朗読会|早稲田奉仕園スコットホールを振り返って

先々月、知人から誘われて<幸田弘子が愛した世界~幸田弘子先生追悼朗読会~>に出席しました。舞台朗読という新分野で芸術選奨文部大臣賞をはじめ輝かしい受賞歴のある朗読家幸田弘子さんの追悼朗読会に出席したのは、『中央線の呪い』など中央線沿線文化に関するエッセイで知られる三善里沙子さんが幸田さんの長女だと知ったからです。幸田さんの朗読会にはご縁がありませんでしたが、90年代、三善里沙子の著書に嵌っていた時期があります。

会場は早稲田奉仕園スコットホール、煉瓦造りの荘厳な礼拝堂(東京都選定歴史建造物)でした。早大戸山キャンパスから徒歩数分の立地にこんな立派なキリスト教施設があることさえ知りませんでした。追悼朗読会を主催したのは、2000年から定期的に朗読会を開催してきた幸田さんのお弟子さんたち。演目をご紹介しておきます。冒頭の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という調べが印象的な中也の「サーカス」は、追悼朗読会の冒頭を飾るにふさわしい抒情詩でした。

第1部 サーカス(中原中也)・黄金風景(太宰治)・妹へのレクエイム(阿川佐和子

第2部 ちいさな王子(サン=テグジュペリ)・あのひと(吉原幸子) 

幸田さんが亡くなったのは昨年11月24日のこと。コロナ禍のせいできっとお別れの会が先延ばしになっていたのでしょう。ステンドグラスの高窓からやわらかい光線が差し込む礼拝堂の窓辺には故人の写真が飾られ、愛弟子の皆さんがそれぞれ思い出の作品を追悼朗読するというスタイルで会は静かに進みました。休憩時間を挟んで都合2時間20分、厳粛にして心温まるお別れの会でした。会場には故人の友人知己のほかに、追悼朗読者のファンや自分のような一見さんも混じっていたのでしょう。にもかかわらず、幸田弘子さんの生前のお人柄やご活躍ぶりは、お弟子さんの言葉を通して、幸田さんを直接知る人だけではなく、幸田さんを知らない出席者ひとりひとりの心にも深く刻まれたはずです。最後に登壇された長女の三善里沙子さん(写真下)も感極まった表情でご挨拶をされていました。追悼朗読会から1ヵ月以上経ったのに、まだそのときの嫋々たる余韻が尾を引いています。こんなに感銘を受けたお別れの会はこれが初めてです。

掉尾を飾ったのは、吉原幸子さん(1932-2002)の詩「あのひと」の輪読でした。詩人吉原幸子さんは、故人が通った都立第十高女(現:豊島高校)の同級生だそうです。谷川俊太郎さんの代表詩のひとつ、「いま 生きているているということ」への返歌として作られたそうです。とても素敵な詩だったので、全文をご紹介しておきます。

あのひとは 生きてゐました
あのひとは そこにゐました
ついきのふ ついきのふまで
そこにゐて 笑ってゐました

あのひとは 生きてゐました
さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ
おいしいね おいしいねと言って
そこにゐて 食べてゐました

ついきのふ 八十年まへ
あのひとは 少女でした
あのひとの けづった鉛筆
あのひとの こいだぶらんこ

ついきのふ 三年まへにも
あのひとは 少女でした
あどけない かぼそい声で
ウサギオーイシ うたって

あたしのゑくぼを 見るたび
かはいいね かはいいねと言って
あったかいてのひら さしだし
ぎゅっとにぎって ゐました

あのひとの 育てた花
あのひとの 貼った障子
あのひとの つくったお手玉
あにひとの 焚いた落ち葉

あのひとの とかした櫛
あのひとの 眠ったふとん
あのひとの 書いた手紙
あのひとの 歩いた道

あのひとの 見た夕焼け
あのひとの きいた海鳴り
あのひとの 恋の思ひ出
あのひとは 生きてゐました

あのひとは 生きてゐました