休刊が決まった<週刊朝日>の思い出

親の代からずっと朝日新聞を購読しています。小学生の頃から、父親が買ってくる<週刊朝日>も熱心に読んでいました。本紙広告欄の太字ヘッドライン「101年間、ご愛読ありがとうございました」を目にして少し目頭が熱くなりました。日本最古の総合週刊誌だったとは・・・知りませんでした。学生時代、愛読していた<朝日ジャーナル>が廃刊となったのは1992年。スキャンダル報道で注目を浴びる<週刊文春>やヌード・水着のグラビアの多い<週刊現代>や<週刊ポスト>に対し、発行部数で大きく水をあけられた硬派路線の<週刊朝日>がよくここまで持ち堪えたものです。とはいえ、女子大生が表紙を飾った時期もありました。そのひとり、宮崎美子さん(当時・熊本大学在学中)は「週刊朝日なら脱がされないと思った」と微笑ましいコメントを寄せています。記念に休刊特別増大号だけは買っておこうと近所の本屋に行ったらもう売切れでした。

中学生の頃、謝礼の図書券欲しさにペンネームで<週刊朝日>に投稿し、何度か採用されたことがあります。当時は週刊誌全盛の時代ですから、ペンネームにせよ自分の文章が百万人超の読者に届けられていたことになります。最盛期の発行部数は150万部だったそうです。採用が決まり掲載誌が郵送されてきたときは、思わずほくそ笑んだものです。SNSのない時代、新聞や週刊誌の投稿欄は個人にとって数少ない発信の場でもあったわけです。

サンデー毎日>が1964年に口火を切った春の恒例特集「大学合格者ランキング」は、ライバル<週刊朝日>にとっても主戦場でした。ある時期まで、東大合格者が実名で報道されていたこともありました。個人情報なんておかまいなしの、いい意味で、おおらかな時代だったのです。

最終号校了間際の慌ただしい編集部の様子を伝えるNHKニュース「おはよう日本」を見ました。怒号が飛び交いそうな職場を想像していたら、編集長は女性の方でした。一世紀にわたり貫いてきた編集方針は「読者の知的好奇心に応える」「ユーモアを大事にする」「家庭で読まれる」雑誌を作るだったそうです。懐かしい記憶の断片を刻むのは、お堅い新聞紙面がスルーするユーモア溢れるコラムや山藤章二さんの似顔絵「ブラックアングル」です。

雑誌は売切れでも「楽天マガジン」のお蔭で休刊特別増大号の記事を読むことができます。皮肉なことに、こうしたWeb メディアの台頭によって<週刊朝日>が休刊に追い込まれたわけです。廃刊とせず休刊と宣言したのはデジタル版に移行する狙いでしょうか。とまれ、長い間、お世話になりました。