桂文枝師匠の創作落語にかける情熱

中学生の頃、古典落語に嵌って、落語研究者の興津要さんが編集した講談社文庫版『古典落語』シリーズを次々と読破したものです。身近に寄席がなかったせいもありますが、専ら活字を通して古典落語に親しんでいきました。「こんにゃく問答」や「強情炎」のように高座でこそ真価を発揮する噺を敢えて省いて、詠んで面白い落語を厳選してくれた編者の手腕に依るところ大だったのも知れません。Wikiによれば、シリーズ6巻は200万部を超えるロングセラーだとか。当時は気づきませんでしたが、古典落語の魅力を今に甦らせてくれた名著に触れていたわけです。

今読んでも、「そこつ長屋」や「時そば」のような名作古典落語の面白さは一級品です。「おとしばなし」と呼ばれていた江戸時代には、古典であるはずもなく流行り噺だったに違いありません。いつの時代も庶民の暮らしのなかにこそ笑いとペーソスが溢れているように思います。


枕が長くなりましたは、現代の庶民の暮らしに息づく笑いを追求してやまない桂文枝師匠の創作落語に、新たな可能性と将来性を感じています。飛行機や新幹線が登場し、スマホが生活インフラとなった今、こうした劇的な暮らしの変化を採り入れるには創作落語しかないと師匠は確信したのでしょう。先日、BS朝日で放映された「笑いの発明王桂三枝文枝の50年」を観て、その意を強くしました。今年7月に74歳を迎えたという文枝師匠の創作意欲は止まる処を知りません。山頂で奉納落語を披露しようと初めて富士登山に挑む姿には、狂気迫るものさえ感じました。無事、登頂を果たし、紋付き袴姿に着替えて披露し始めた275作目となる創作落語「富士山初登頂」は中断、それには理由がありました。過酷な富士登山を体験して、あらかじめ拵えていたネタではリアリティが伝わらないと感じた師匠が、噺の後半を練り直そうと決めたからでした。

マルチなタレントに恵まれ桂三枝として大成功を収めていたにもかかわらず、2003年に上方落語協会の会長に就任し、2006年に上方落語界の悲願である落語専門の定席「天満天神繁昌亭」を新設してしまいます。そして、2012年には六代(目)桂文枝を襲名します。こうして、キャリアの原点落語界への恩返しに努めている師匠の姿を見ると、益々桂文枝という人間に惹かれてしまいます。惚れ直したと言い換えても構いません。上方落語協会の会長として、70歳を超えて今なお走り続ける師匠のバイタリティと本業にかける情熱を少しは見習いたいと思う昨今です。