2021 年雨天の「桜桃忌」

今日6月19日は「桜桃忌」。そう命名したのは同郷で同い年の友人、今官一です。この日が太宰治の命日とされていますが、愛人山崎富栄と共に玉川上水へ向かい入水自殺を図ったのは遡る13日深夜のこと。当時、人喰い川と呼ばれていた玉川上水は、折しも梅雨どきでかなり増水しており、入水後ほどなく絶命していたはずです。ところが、水嵩が災いし捜索は難航しました。ふたりのご遺体が入水場所から1kmほど離れた新橋付近で発見されたのは19日の朝、その日は奇しくも太宰治の39歳の誕生日でした。

没後70年以上経った今も、桜桃忌には墓所のある禅林寺を訪れるファンが後を絶ちません。文学忌は数あれど、「桜桃忌」ほど人口に膾炙した文学忌を他に知りません。芥川龍之介の「河童忌」や司馬遼太郎の「菜の花忌」のように、作品に因んだネーミングが愛読者の記憶に深く刻まれるように思います。

数日前、サプライズ桜桃忌特別企画が催されていると知り、太宰治文学サロンに足を運びました。小規模な施設なので、感染対策上、一度に3名しか入室できません。サプライズ企画の目玉は、近代文学初版本コレクターとしても知られる秀明大学川島幸希教授が提供した貴重な資料の数々。ごく親しい人や親族に贈った署名入り初版本はコンディションも良好で、太宰ファン垂涎の品ではないでしょうか。文壇関係者への献本とは一味も二味も違う太宰の心尽くしが見返しからじんわりと伝わってきます。『佳日』(宛名不明)には短歌が添えられ、8歳年上の俳優丸山定夫(のちに広島で被爆・逝去)には俳優志望の青年を描いた傑作長編『正義と微笑』(せいぎとびしょう)が贈られています。四姉のきょうに贈った『富嶽百景』にはペンネームを避け愚弟と墨書しています。万年筆や筆で丁寧に書かれた宛名や署名から、太宰の優しい心根や律義さが滲み出ているようです。桜桃忌にふさわしいホッコリさせられる期間限定のサプライズ企画でした。

期間限定のサプライズ企画(〜6/20)と並行して開催中の企画展示のテーマは〈「正義と微笑」のころ-芸術家・太宰治の使命〉。主人公が日記に綴った黒田先生の本質をついた言葉はいつ読んでも、ハッとさせられます。以下、引用です。

<もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。>