福島遠征登山(2023-3-10/12)|安達太良山篇

福島遠征2日目は、安達太良山(1700m)の奥岳登山口に通じる岳(だけ)温泉に投宿しました。安達太良山の麓に広がる岳温泉郷は、全国的にも珍しい酸性泉(ph値2.5)で湯治場として知られています。今回、時間的余裕がないため素通りしてしまったヒマラヤ通りと呼ばれるメインストリートは、風情溢れるスポットでした。日帰り温泉に浸かったり名物ソースカツ丼を食べたりしながら周辺を探索するのは次回に持ち越しです。

翌朝、しっかり朝食を取ってチェックアウト。クルマなら温泉郷から10分足らずであだたら高原スキー場・駐車場に到着です。4月中旬から11月上旬まで運行されるゴンドラリフト「あだたらエクスプレス」を利用すれば、薬師岳(1350m)まで6分ですが、オフシーズンの今回はスキー場右手の奥岳登山口(写真・上)からアイゼンを装着しひたすら歩くしかありません。

この3月で営業を終了する「くろがね小屋」経由で安達太良山をめざし、反時計回りで薬師岳を経て下山する予定でしたが、登山開始早々、標識(写真・上)を見誤って時計回りのルートを選んでしまいました。「勢至平」という地名が頭に入っていなかったこと、それから、先行する登山者たちを安易にフォローしたことがミスの原因です。2月20日、築60年の「くろがね小屋」を取り上げたNHKの「ドキュメント72時間」を視聴してすっかり刷り込まれたのか、ルートの良し悪しを深く考えませんでした。

結果的には、安達太良山・山頂から「くろがね小屋」に向かって雄大な景観を眺めながら下る時計回りの周回が正解でした。春霞のせいで磐梯山が隠れてしまい2日目と比べるとお天気こそ少し見劣りしましたが、穏やかな1日だったことに変わりはありません。途中からハードシェルをザックに仕舞い、フリースだけで行動したくらいです。

前半のハイライトは、薬師岳山頂の平らなスペースにある「この上の空がほんとの空です」と書かれた標柱です。高村光太郎の詩集『智恵子抄』の一篇「あどけない話」に登場する言葉が刻まれています。光太郎の妻・智恵子にとって、東京には「ほんとの空」はなく、故郷・二本松市の空だけが「ほんとの空」だったそうです。故郷の空を懐かしむ智恵子さんの眼差しに光太郎さんの亡き妻への思いを重ねながら、標柱の先にある空をしばらく見つめました。春霞に包まれた空も、智恵子さんにとって四季折々姿を変える「ほんとの空」のひとつなのでしょう。

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空がみたいといふ。
 (中略)
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。

営業終了まであと半月と迫った「くろがね小屋」は大勢の登山者で賑わっていました。名物のカレーライスも内湯「くろがね温泉」も体験できないまま、最初で最後の「くろがね小屋」休憩となりました。yamasankaの安達太良山バッジも完売、トドメを刺されました。立派な外観を見るかぎり、時期尚早に思える取り壊しはコロナ禍前からの懸案だったようです。建替え完成は2025年度の予定だそうです。20分ほど滞在した「くろがね小屋」を出発してしばらくすると、日差しが差し込んできました。振り返れば、3つのピーク(左から別名「乳首山」の安達太良山、篭山、鉄山)が見えます。

2泊3日の福島遠征は、幸いお天気に恵まれ大きなトラブルもなく、雪山の魅力を満喫できました。一転、週明けの13日は一帯の天気が下り坂になって、日中は風が強く気温も急低下したようです。残念なことに磐梯山を登山中の親娘が遭難し、翌日ふたりとも救出されたのですが50代の母親が亡くなっています。入山前に最新の気象情報をチェックして不安材料があれば無理して登らないこと:命を守るためのマイルールを忘れないようにしよう。