ブックレビュー:『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件』(大下英治著・さくら舎)〜救世主・河合弘之弁護士が挑んだ白兵戦〜

書名を聞いてすぐにピンときた方は、金融や不動産関係のお仕事をされている方ではないでしょうか。この事件が発覚したとき、被害者に自分自身を重ねて、自責の念にかられた方も少なからずいることでしょう。バブル期に投資用マンションを購入して痛い目に遭った人たちは、思い出したくもない記憶を手繰り寄せたのかも知れません。ところが、この事件は都市部でユーフォリアに浸ったバブル期とはまったく様相を異にします。筆者は文春記者上がりのジャーナリストで、事件解決の立役者・河合弘之弁護士とは同い年で昵懇。本書は、政府の甘い年金見通しに不安を抱える現役世代が安易に手を出しがちな不動産投資に警鐘を鳴らす格好のドキュメンタリーだと申し上げておきます。

かぼちゃの馬車」とは、2014年から都内を中心に次々と建設された女性専用シェアハウスの名称で、開発を手掛けたのは当時急成長を遂げていたスマートライフ(社名変更後:スマートデイズ)という会社です。地方から進学や就労で上京してくる若い女性ターゲットにした賃貸不動産事業と言えば、確かに聞こえは悪くありません。なにより、シェアハウスという言葉の響きがトレンディーです。本書には「住まい×仕事」=<敷金・礼金・仲介手数料なし>の社会貢献型ビジネスだと説得され、殆ど自己資金なしでシェアハウスのオーナーとなった被害者が数多く登場します。不動産担保ローンを提供したのは、スマートライフに加担したスルガ銀行です。詐欺同然の巧妙な手口にまんまと騙され、被害者らが不動産投資にのめり込んでいった過程が克明に描かれています。

被害者の1人は、父親から手渡されたロバート・キヨサキの世界的ベストセラー『金持ち父さん・貧乏父さん』(1997年刊)に触発されて、不動産投資に手を染めていきます。教育資金捻出に苦慮する中年サラリーマン、有名私大の教授夫婦、共稼ぎのパワーカップル外資ベンチャー会社社員、医師など、相応の思慮分別を持ち合わせた人たちが巧みなセールストークに乗せられて、億単位のローン借用証書に捺印してしまいます。安定した不労所得が得られるという甘美な誘惑に標的となった顧客は易々と引っ掛かっていくのです。

一等地・銀座の社屋に高級ソファ、ベッキーさんのテレビCM、立派なパンフレット、テレビドラマ化されたシェアハウスのイメージ、巧みなセールストークなど、不動産投資の本質に関係のない謂わばセールスの装飾品に目が眩み、被害者たちは冷静な判断を下す機会を奪われていきます。不動産投資の大前提、デュー・ディリジェンスを怠ったために、彼らはとんでもない代償を支払う羽目になります。被害者の7〜8割が購入物件を見ていなかったそうです。近隣不動産の価格調査、周辺環境、竣工した同種建物の内見など、手間を惜しまず投資対象を精査していれば、7平米×18部屋(家具なし)(リビングスペースなし)のシェアハウス1棟投資がいかにリスキーで無謀なものか、火を見るより明らかです。

最大の落とし穴は、30年賃料保証のサブリースです。スマートライフはやがてブラックリストに載ることになり、土地・建物のパッケージセールスは間に入った不動産販売会社が担い、建設会社との契約を遅らせ、オーナーを意のままに操ります。そんな得体の知れない会社の長期賃料保証など空手形以外の何物でもありません。「サブリースで絶対安全」の謳い文句は、欺瞞に満ちた悪質なセールストークです。同業の大東建託レオパレスに唆され、相続税対策目的で安普請のアパート建設に踏み切ったオーナーも賃料改訂可能な長期サブリース契約の罠に嵌っているのです。

800人ものオーナーを集め凡そ1000棟のシェアハウスを運営する賃貸事業は、ほどなく破綻し、サブリース料を支払うために次のカモを見つける自転車操業の悪循環に陥っていきます。

絶体絶命のピンチにあって、無二の救いは被害者の会のリーダーT が同様の詐欺被害にあった娘婿を持つ辣腕弁護士・河合弘之と出会い、「ダグラス・グラマン事件」や「平和相互銀行事件」など華麗な実績を有する河合が代理人を引き受けたことでした。集団訴訟に出るものと思いきや、河合弁護士は長期戦は圧倒的に被害者に不利だと判断し、照準をスルガ銀行に絞って「白兵戦」に挑むと宣言しました。世論を味方につけ監督官庁を巻き込んで社会的事件だと喧伝し、スルガ銀行に代物弁済を呑ませる算段です。スルガ銀行へのローン返済をストップすることから闘いの火蓋は切られました。違法な融資に返済は無用だと、スルガ銀行信用情報機関への通知をストップさせています。やがて、スルガ銀行東京支店前での58回に及ぶ街頭デモや株主総会での経営責任糾弾に発展し、とうとうスルガ銀行が根を上げ、被害者の会は2年あまりの闘争を経て440億円の債務免除を勝ち取ったのです。往々にして経営寄りの判断を下しがちな第三者委員会(委員長:中村直人弁護士)が厳格な調査報告書を発表したことも、闘争の追い風になりました。スルガ銀行(総融資残高3兆円)の不動産担保融資は約1兆円、うち2000億円がシェアハウス関連だったそうです。残りの8000億円も実態は不良債権でした。各種資料の偽装、通帳残高の意図的な改竄、融資の見返りとしての歩積み両建てなど、銀行にあるまじき数々の不正を重ねてきたスルガ銀行の屋台骨は完全に崩れ落ちたのです。

相手が経営体力に勝るメガバンクだったら、この勝利はありえません。まさに薄氷の勝利です。リーダーTさんと河合弁護士の邂逅がなければ、被害者のなかには家族を窮地から救うための団信返済を狙って命を断つ者が続出したかも知れません。死線を越えて、資本主義の牙城・銀行の不正と闘った被害者たちの勇気と団結力には敬服します。しかし、被害者の多くが救済されたのは万にひとつの幸運だったに過ぎません。生兵法は大怪我のもとと言います。自らの知識や経験を過信せず、安易な投資に手を出せば必ず大火傷するのだと肝に銘じておくべきでしょう。