日本の死刑論議~ひとりの無辜を罰する勿れ~

先月13日、東京高裁が1966年の「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さん(87)について、再審開始を認める決定を下しました。初めて再審決定が出たのは2014年の静岡地裁決定。ところが、4年後の2018年に東京高裁が地裁決定を覆したため、弁護側は特別抗告。2020年12月に最高裁が東京高裁へ差し戻して今回の再審開始決定ですから、再び再審の扉が開くまで9年を要したことになります。

袴田さんは被害者一家の主が専務を務めるこがね味噌の従業員でした。浜松出身のよそ者で元プロボクサーという経歴が災いしたのか、警察が自白を強要し証拠を捏造、袴田さんを犯人に仕立て上げたというのが真相です。争点は<事件から約1年2か月後に発見された「犯行着衣」についた血痕の赤みが味噌づけの状態でどう変色するのか>でした。弁護側は実証実験を重ね、1年も味噌づけになったら着衣の赤みは消失すると証明し、衣類は警察側の捏造であると断じました。

釈放中の袴田さんの身体拘束は47年に及びます。2018年に東京高裁がなぜ再審開始を取り消したのか、弁護側の主張は一貫していたはずですから、同じ高裁で結論が岐れたのは遺憾としか言いようがありません。取り消し決定を下した大島隆明裁判長(退任)は良識派と見られていただけに残念でなりません。再審開始が決まったら検察側の不服申立てを認めないような仕組みを設けるべきではないかと思います。死刑判決が再審で無罪となった事件は過去4件だけです(下は朝日新聞より)。再審の扉はとてつもなく重いのです。

無差別殺人や強盗殺人のような凶悪犯罪の犯人が捕まると、世論は総じてハンムラビ法典のように応報刑に傾きます。目には目をとばかり犯人に極刑を望む声が高まります。被害者感情に重きを置いた死刑存置派の分かりやすい拠り所です。存置派のもうひとつ有力な主張、死刑の犯罪抑止効果も科学的な裏づけはありません。

刑事裁判の鉄則は「推定無罪」。「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰する勿れ」のはずです。ところが、実態は99.9%有罪、即ち「推定有罪」なのです。冤罪と言えば、「障害者郵便制度悪用事件」で逮捕された厚労省の村木元局長は、大阪地検特捜部の証拠改竄と隠ぺいによって、5ヵ月以上拘留されました。逮捕から無罪判決を勝ち取るまでに要した時間は1年3ヵ月に及びます。以前、当ブログで取り上げたようにいったん疑われたら「痴漢」をしていない証明(所謂「悪魔の証明」)は至難です。冤罪の芽はそこらじゅうに散らばっているのです。

国家権力は暴走すると常に考えておくべきです。死刑囚にでっち上げられたら堪ったものではありません。OECD加盟38か国中、死刑制度を設けているのは、米国、韓国、日本のわずか3か国だけです。しかも、米国では死刑を廃止した州がかなりに上り、韓国も執行停止中だそうです。「法務大臣は死刑のはんこを押したときだけ注目される」と発言し更迭された葉梨元法務大臣(第2次岸田内閣)のような政治屋が跋扈する国ですから、そろそろ、岸田政権も早期に死刑廃止へ舵を切るべく真剣に議論を深める時期を迎えているのではないでしょうか。