常呂町に根づいたカーリング~祝・カーリング女子日本代表銀メダル~

4年前、平昌オリンピックが閉幕してまもない時期に道東を訪れたことがあります。オホーツク海に浮かぶ流氷と汽水湖群を見るのが目的の旅でした。オホーツクの玄関口は女満別空港になります。日本最大の汽水湖サロマ湖。厳冬期だったので湖面は一面氷雪で覆われていました。平昌オリンピックで銅メダルを獲得して一躍有名になったカーリング女子日本代表チーム、ロコ・ソラーレの本拠地常呂町は道内最大の湖サロマ湖にほど近いところにあります。26kmにも及ぶ砂嘴を挟んでオホーツク海と潟湖が隣り合っています。

折角の機会だったので、人気のない雪道をひたすら走って、カーリングの聖地<アドヴィックス常呂カーリングホール>(地図の赤矢印)を訪れました。写真のように立派な施設で地元チームの練習風景を見学することができました。人口5000人足らずの常呂町(2006年に北見市に併合)に国内初となるカーリング専用の屋内施設「常呂町カーリングホール」が出来たのは1988年に遡ります。老朽化に伴い2013年に移転新築されたのが現在の施設です。国際基準を満たす6シートを備え、国際大会も開催されているそうです。施設から少し離れた場所にカーリング女子日本代表が必勝祈願に訪れる常呂神社があります。写真のように参拝時は深い雪に包まれていました。

<JAところ>のウェブサイトには、カーリングは閑散期の農家と漁師の冬遊びから始まったとあります。姉妹都市カナダ・アルバータ州の交流イベントでカーリングを初体験した酒屋の店主だった小栗祐治さん(故人)が帰国して普及に着手したのは1980年のこと。当時はプロパンガスのボンベを改良したストーンに竹箒と道具も手作りで氷作りも大変な作業だったそうです。雪や氷に閉ざされた極寒の世界にあって、施設を整備しながらカーリングを地域に根づかせていった常呂町の人々の心意気に胸が熱くなります。カーリングがオリンピック公式種目になったのは1998年ですから先見の明にも長けていたことになります。

北京冬季オリンピックカーリング女子日本代表の大活躍をテレビ観戦しながら、思うことがたくさんありました。氷上のチェスと言われるように、実に奥の深い競技なのだと再認識しました。一見、スキーやスケートのような競技と比べると地味な印象はどうしても拭い切れません。スポーツなのかと首を傾げたくなるのも分からなくありません。けれども、ルールや競技の駆け引きを知れば知るほど興味が湧いてきます。北京での銀メダル獲得でコアなファン層が増えたのではないでしょうか。

4人の競技者がお互い声を掛け合ってカーリング競技は進行します。銀メダル獲得まで、ロコ・ソラーレラウンドロビンも含め11試合を戦い抜きました。1試合2時間として、4選手は丸1日を競技に捧げたわけです。その様子はすべてテレビで放映されますから、チーム名はもとより本拠地常呂町は世界にその名をアピールできたはずです。カーリングの素晴らしいところは、特別な身体能力を求められないので、年齢・性別問わず、誰でもプレイできることです。チームワークを強化し経験を積み重ねることで着実にスキルアップが図れます。親しみやすいカーリング競技に目をつけた常呂町の人々の慧眼に、改めて深い敬意を表さないわけにはいきません。道内市町村は、例外なく厳しい財政状況におかれています。スポーツを通じた常呂町北見市)の町おこしは類稀れなる成功例ではないでしょうか。一方、オリンピック期間中の国民の熱狂とは対照的にチーム運営は依然経済的に厳しく、4年後に再びカーリング日本代表が世界と伍して戦える保証はどこにもありません。合宿や遠征に要する費用はスポンサー頼み。ロコ・ソラーレ代表理事本橋麻里さんは、チームだけではく協会の組織力の強化が大きな課題だと指摘しています。オリンピックから1年も過ぎれば、今回の活躍も嘘のように人々の記憶から消えていくのが常なのだと本橋さんは危機感を募らせます。

1次リーグ首位通過スイス(世界ランキング2位)との準決勝は最後まで行き詰る展開でした。前日の反省(スコアは4-8)を生かして修正、見事にスイスチームに雪辱しました(スコア8-6)。イブ・ミュアヘッド率いる試合巧者英国との決勝戦は善戦及ばす金メダルこそ逸しましたが、2大会連続でメダルを獲得したわけですから、カーリングのようなマイナー競技にも活躍にふさわしい金銭的支援も含めたご褒美をと願わずにはいられません。